第16回 賢治と歩む会 2018/9.1

賢治の歌碑への献花 狼の森と笊森、盗森

 熊谷寺の全景(八木橋デパート屋上より)
 熊谷寺の全景(八木橋デパート屋上より)

これは平成30年9月8日に八木橋デパートの屋上から熊谷寺の全景を撮った写真である。

賢治が秩父地方を訪れたのは、大正5年9月2日から8日迄である。

賢治が盛岡高等農林学校に在学中のことで、関豊太郎教授、神野幾馬助教授に引率された23名の学生が秩父地方の地質、土壌、林業の調査を目的とした研修旅行であった。

その頃の賢治は向学心に燃えていたらしく、7月30日の夜行で上京しドイツ語夏季講習会に参加していた。そのうえ賢治は9月2日に上野駅で一行と合流する前に帝国博物館を訪れ岩石の標本などを観て予習していたようである。 

    賢治の歌碑建立の記
    賢治の歌碑建立の記

 賢治一行は午後3時半頃には熊谷に到着し、熊谷寺よりは手前の松坂屋旅館に宿泊したと言うが、まだ、はっきりとは断言できないという…

 その時に賢治が詠んだ2首の短歌が歌碑に刻まれ、八木橋デパート前の『旧中山道跡』という大きな記念碑の横手にひっそりと建っている。

賢治フアンの一人としては、少し寂しい気持ちに駆られ、ここを通るとき、自然に賢治の歌碑に目が向くようになった…

今回『賢治と歩む会』が、賢治熊谷来訪の9月2日の前日に賢治の歌碑に献花を行うことになり大変嬉しく思っている… 

 この歌碑は平成9年9月2日に「くまがや賢治の会」が中心となり建立されたが、その時、歌碑建立を支援した500余名の手紙を入れたタイムカプセルも埋められているという。小川さんは、そんなことを思い出しているのであろうか…

この歌碑の側面には、書 野口白汀、刻 野口畊石と刻まれている…

武蔵の国熊谷宿に蠍座の

    淡々ひかりぬ九月の二日

 この歌碑にある9月2日を手掛かりに埼玉大学名誉教授萩原昌好氏が熊谷のプラネタリウム館にお願いして当時の月齢と蠍座の位置を再現してもらったところ、蠍座の位置は地平線上に見えるすれすれの位置にあったという。このとき賢治は蠍座が地平線に沈む前のわずかな時間を見逃さず、宿屋の二階から蠍座を観たのであろう。その蠍座は「あわあわ」としていたことでしょう…

 盛岡市材木町イーハトーブ・アベニュー
 盛岡市材木町イーハトーブ・アベニュー

盛岡中学の頃の賢治は星座に夢中になっていた。丸いボール紙でつくられた星座図を持って屋根に登り、一晩中夜空を眺めていたという…

そして『私たちは乗物に乗って銀河の中を旅行しているのだ』というようなことを話してくれたと弟の宮沢清六氏が「兄のトランク」の中で語っている。

熊谷の連生坊がたてし碑の

      旅はるばると泪あふれぬ

  これは自然石のままの背面に刻まれた短歌である。賢治は小さい頃から石や岩石を集めるのが好きで、岩石を砕くハンマーまで持ち歩き「石っこ賢さん」と呼ばれ、押し入れに沢山の石ころを仕舞っておいたらしい。

この歌碑は、そんな賢治に似つかわしい歌碑ではなかろうか…

ところが、この献花式が終わって乗せて頂いた車の中で、ハンドルを握りながら『あの石は石材屋さんで私が選んだのよ。』と言ったのを聞いて、そんな方が身近に居られたことに驚きつつ賢治の歌碑により親しみを感じた…

    『熊谷陣屋』(熊谷歌舞伎)
    『熊谷陣屋』(熊谷歌舞伎)

賢治は浮世絵と歌舞伎が好きで、上京の折には歌舞伎座へも出かけたようだ。

しかし、賢治は「熊谷陣屋」の歌舞伎を見知っていたかどうかは定かではないが、「一ノ谷の合戦」で熊谷次郎直実公が、弱冠16歳の平家の若武者敦盛公を討ち果たしたことは知っていたに違いない。

直実公は自分が討ち果たした敦盛公の供養塔を建てた。この短歌は賢治が熊谷寺を訪れて、「連生坊がたてし碑」に心を動かされて詠んだものであろう。

  賢治の歌碑前の献花場所の設営
  賢治の歌碑前の献花場所の設営

瀧田さんから『9月1日午後1時に八木橋前集合』とのショートメールを受けたが、生憎の空模様だったので、息子に車で送ってもらった…

八木橋の入口には既に皆さんお揃いで、外の歌碑前で行うか、八木橋の入口をお借りして屋内で行うかの相談をしていた…丁度、晴間が出て来たので外に設営された…

 瀧田氏;『賢治と歩む会』の代表
 瀧田氏;『賢治と歩む会』の代表

八木橋デパートも後援していたという『くまがや賢治の会』の活動中止に伴い、その会を継承するかたちで『賢治と歩む会』が活動を開始した…私は第2回『なめとこ山の熊』の読書会から参加させてもらった…

その『賢治と歩む会』の企画でこの度、大正5年9月2日に熊谷を訪れた賢治を偲び献花が行われることになった…そして『賢治と歩む会』代表の瀧田さんの司会・進行で献花式がとり行われた…

 小川氏:『熊谷賢治の会』から熱心に活動
 小川氏:『熊谷賢治の会』から熱心に活動

まず、『くまがや賢治の会』の頃から熱心に活動してこられた小川さんより、その頃の資料を示しながら、200名以上の会員を有したという賢治の会の活動や歌碑建立の経緯などが紹介された…ただ騒音で良く聴きとれなかったのが残念である…

当時『八木橋で宮沢賢治の催物があるよ。』と家族に教えられても、その頃は参加することはなかった…

埼大名誉教授萩原昌好氏:『賢治と歩む会』顧問
埼大名誉教授萩原昌好氏:『賢治と歩む会』顧問

『賢治と歩む会』の顧問萩原先生は課題に取り上げられた賢治作品に対する参加者の疑問に一つ一つ応え、作品の背景も解説して下さるので、私は楽しみに毎回参加している…

賢治研究を50年以上続けて来られた萩原先生が、賢治熊谷来訪についてお話くださるも国道17号の騒音でよく聴きとれなかった…私は萩原先生の著書『宮澤賢治「修羅」への旅』(朝文社)の第5章「修羅」と「銀河」への旅 秩父旅行 を読み直してみることにした…

    萩原先生の献花
    萩原先生の献花

八木橋デパート前の国道17号は交通量も人通りも多くてざわざわしていたが、まず102年前に熊谷に来訪してくれた宮澤賢治さんに萩原先生から大きな花束を献花していただいた…

それから参加メンバーにカーネーションが配られ、一人づつ花を献花して手を合わせた…

    参加メンバー皆さんの献花
    参加メンバー皆さんの献花

賢治作品にははっきりと結論まで語られていなことが多いが、先生も常々、賢治作品は各自の解釈で自由に味わって欲しいし、賢治もそれを望んでいるであろうと話されていた…そんなことを思うと、皆さんそれぞれの想いで賢治さんを偲び献花なさったことであろうと思った…

 八木橋デパートの催物担当者
 八木橋デパートの催物担当者

それから今回の献花式に色々と便宜を図っていただいた八木橋デパート催物担当の方からご挨拶いただいた…以前「くまがや賢治の会」で積極的に活動された小久保氏から引き継いでいますよお話になり、賢治の歌碑が鳥の糞などで汚されたきは、きちんと清掃しておりますからと付け加えると、皆さんから笑い声と共に拍手が起こった…

栗原さんが献花式の最後を締めくくってくれた…

栗原さんは埼玉新聞社にお務めで、時折『賢治と歩む会』の記事を埼玉新聞に掲載してくれますが、今回の賢治歌碑への献花イベントの記事も埼玉新聞に掲載してくださるのではないかあと楽しみである…

瀧田さん、小川さん、栗原さん、本日の『賢治歌碑への献花』を企画し、ご準備頂きありがとうございました。

献花式が終わってから、萩原先生とご一緒に写真を撮らせて頂いた…

実は、明日9月2、3日と岩大の同期会で盛岡に行き『賢治と歩む会』の会報に連載をお願いしている鈴木守さんに会うので、その時に写真を見せてあげようと思った…先生にもそのことをお話すると『鈴木さんに宜しく…』と言ってくださった。

注文の多い料理店(小久保氏より復刻版寄贈)
注文の多い料理店(小久保氏より復刻版寄贈)

『 第16回 賢治と歩む会 』

 会が始まると代表の瀧田さんが、小久保さんが送ってくれたという『注文の多い料理店』の復刻版を回覧した…小久保さんは今京都にお住まいだが、『くまがや賢治の会』の創設の時よりスポンサー八木橋デパートの担当者として熱心に取り組んで来られたと聞いている…

八木橋を辞めて京都在住の今でも時々『賢治と歩む会』に顔を出してくださるので私もお会いしたことがある…

 第16回 賢治と歩む会 狼森と笊森 盗森
 第16回 賢治と歩む会 狼森と笊森 盗森

< 狼森と笊森、盗森 >

今回の課題は『注文の多い料理店』に納められている『狼森と笊森、盗森』であった…

まず、それぞれ読後の感想と疑問に思ったこがを発表された。それには共通する点もあるが、やはりその人にしか感じ取れないよう独自意見にはっと気づかされることもあり、いつも新鮮さを失うことがない…

  狼森と笊森の地図(小岩井農場の周辺)
  狼森と笊森の地図(小岩井農場の周辺)

萩原先生は配布さた岩手県の地図を取り上げ、物語に登場してくる土地を訪ねて見ることは、物語の背景を理解する上でとても大切なことだと話し始めた。先生がその地を訪れて土地の人に尋ねてみたが『盗森』の場所は定かではなかったという…

そしてある時、宮沢清六さんに促されて、物語に登場する水の出る場所を探しに出かけ、その場所を探り当て、その周りを掘り返したら縄文時代の土器が出てきたという…

https://ameblo.jp/bremen3815/  を参照
https://ameblo.jp/bremen3815/  を参照

賢治も地質調査で歩き廻っていたので、この地で土器を発見したことであろう…そして農耕の弥生時代へと移り変って行く時代の流れを想像し、この物語の構想を想いつたのではないかと萩原先生は語った…

ただ、三本鍬や唐鍬などが使われるようになったのは平安時代のことではであるが、その辺の時代考証に拘るのではなく、賢治が伝えようとする物語に目を向けて読んでで欲しいと言い添えた…賢治は岩手山の麓に開かれた小岩井農場を目にし、そこに理想郷イーハトーブへの想いを重ね、岩手山の火山灰大地が豊かな農耕地へと開拓されて行くこと願いながらこの物語を書き綴ったのではないだろうか…

 狼森(うさぎちゃんの文活HP参照)
 狼森(うさぎちゃんの文活HP参照)

小岩井農場の北に狼森、苽森、黒坂森、盗森の四つの森がありました。ある時、黒坂森から聞いた話として、それを賢治は物語にした…

ある日、開拓農民たちの子供たちがいないのに大人たちは気づき、探しにでると、狼森で九ひきの狼が火の回りをまわる中に、焼いた栗やはつ茸を食べてる子供たちを見つけ安堵した…

農民たちは、狼たちにお礼に粟餅を作って狼森へおいていきました…

 笊森(うさぎちゃんの文活HP参照)
 笊森(うさぎちゃんの文活HP参照)

それから狼森の先にある笊森では、山男が悪戯に農民たちの農具をとっては隠してしまった。実は、山男も粟餅が欲しかったそうで、農具を返してもらいったお礼に農民たちは粟餅を持っていってやりました。

ここで登場する山男は縄文人の象徴で、狩猟生活をしていた縄文人が、初めて目にした弥生人の農耕生活に興味を持ち農具を持ち去ったのであろうと、萩原先生は解説してくださった…

 盗狼森(うさぎちゃんの文活HP参照)
 盗狼森(うさぎちゃんの文活HP参照)

その秋の採り入れも終わったころに、納屋の粟がみんななくなっていたのだ。そこで、みんなが探しにいき、黒坂森に聞くと、盗森に住んでいる黒い男が怪しいよと教えてくれました。

 岩手山(うさぎちゃんの文活HP参照)
 岩手山(うさぎちゃんの文活HP参照)

銀の冠をかぶった岩手山がみんなに、盗森の黒い男(まっくろな手の長い大きな大きな男)が粟餅を自分で作りたかったから盗んだのだよと、そう教えてくれたのです。

家に帰ってみると粟は納屋にあり、みんなで粟餅をつくって、また、四つの森(狼森と笊森、黒坂森に盗森)に持っていきました。盗森の粟餅には、すこし砂が入っていた。

さてそれから森もすっかりみんなの友だちでした。そして毎年、冬のはじめにはきっと粟餅を貰もらいましたと物語は結ばれている。

 

 賢治童話表紙の挿絵
 賢治童話表紙の挿絵

 私はこの『狼森と笊森、盗森』の冒頭の一節を読んで、貧しく不便な生活に耐えて来た子供の頃から今日の満たされた生活を振り返り、何か考えさせられるものを感じた…

東の方から開墾する土地を探して、山刀や三本鍬や唐鍬などの道具を担いだ四人の百姓が家族を連れてやって来た…

そして「ここへ畑をおこしてもいいかあ」、「ここに家建ててもいいかあ」、「ここで火をたいてもいいかあ」、「すこし木いもらってもいいかあ」といちいち森に伺いを立て「いいぞお」と森の了承を得て、百姓たちはその野原に住まわせてもらった。

  2018年の西日本豪雨災害の写真1
  2018年の西日本豪雨災害の写真1

果たして、今日の私たちはどうなんだろうか…

住宅地が必要となれば、チェンソーで森の木を切り倒し、ブルトーザーで山を切り崩し、ショベルカーで土を盛り上げ、遮二無二にそこに宅地を造成してきた…そして周りをコンクリートで固めて続けて来た…

市街地だけでなく砂利道だった道路もコンクリートやアスファルトで覆われ、降雨を保水する森や地面は減少を続けており、ついには集中豪雨の雨は行き場を失って行った…

  2018年の西日本豪雨災害の写真2
  2018年の西日本豪雨災害の写真2

更に、寒い冬には化石燃料を焚き、暑い夏にはクーラーを使い化石燃料を使う火力発電の電気を消費し、大気に二酸化炭素を放出し続けて来た。こうして地球温暖化は加速され、今年の熊谷は異常に暑かった…そしてついに7月23日に41.1℃の日本最高を記録し、連日のように防災無線から熱中症に注意との呼びかけがなされ『用事のない方は外に出ないでください。』と放送された…元々クーラー嫌いの私であったが、あまりの暑さに身の危険を感じ、朝からクーラーを点け一晩中回し続ける日が続いた…

  2018年の西日本豪雨災害の写真3
  2018年の西日本豪雨災害の写真3

こうした二酸化炭素が大気圏を覆い続け地球温暖化が進んできた…

その事に気付き出した人々は1997年12月に京都で開かれた第3回締約国会議で6種類の温室効果ガスの排出を規制する京都議定書が採択されたが、地球温暖化はじわじわ進んできた…そして台風が生まれる熱帯・亜熱帯地域の海水温が上昇し、台風が発生し易くなってしまった…その上、海水温の上昇は日本列島の沿岸にまで及ぶようになり、北上する台風は勢力を弱めることなく、海水温からエネルギーをもらいその勢力を強める台風までも出てきてしまった…

  2018年の西日本豪雨災害の写真4
  2018年の西日本豪雨災害の写真4

こうして水蒸気をたっぷり含んだ雨雲が度々日本列島にやってきて集中豪雨をもたらすようになった…

子供の頃には聞いた事もなかった『ゲリラ豪雨』という言葉が身近なものになってしまった…

今年、8月28日に発生し9月4日に日本列島に上陸した台風21号は、これまでにない猛威を振るい近畿地方に甚大なる被害をもたらした…

 ハリケーン・フローレンス(2018.9.14)
 ハリケーン・フローレンス(2018.9.14)

賢治は『世界全体が幸福にならないかぎりは、個人の幸福はありえない。』と言い続けてきたが、自国の利益だけを強く望んだアメリカ合衆国のトランプ大統領は、温室効果ガスの排出量を規制した京都議定書の加盟国から脱退することを決めた…

そして今年、これまでに類を見ない程強力なハリケーン・フローレンスに見舞われることになり、大規模な避難対応を余儀なくされている…

われわれ人間は、目の前の変化には素早く対応す習性を身に着けているが、目に見えないゆっくりとした変動には極めて鈍感で、その変動の波の慣れてしまうという特性に警鐘を鳴らす必要があるようだ…ここ10年間で風水害などの自然災害は4倍に増大したとNHKのドキュメンタリー番組が伝えていた。

   三本鍬と唐鍬(開墾に使われた)
   三本鍬と唐鍬(開墾に使われた)

賢治は100年近く前の『狼森と笊森、盗森』の中で自然に語り掛け自然との調和を保ちながら自然と共に生きて行く大切さを私たちに語りかけている…

私も小さい子供たちや自分の孫にこの物語を読み継いでいってもらいたと思うのだが、機械化された農業を見て育った子供たちには、四人の百姓が担いできた山刀や三本鍬や唐鍬などの道具をどう使い分けて開墾するか想像もできないことでしょう…近ごろ耕作放棄地が散見される現代では開墾するなど考えもよらず、尚更のこと山刀も三本鍬も唐鍬を見かけることさえなくなってした…

さて、どうしたら良いのであろうか、世の中の大人たちに問いかけてみたいものだと思う昨今である…

 

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コメント: 1
  • #1

    にじ (火曜日, 18 9月 2018 15:25)

    お知らせ、感謝です。びっくりでした。たくさんの写真とこまかな点に注意を払った文章。そしていろんな方々に配慮しつつ、丁寧に書いた上で、ご自分の意見をしっかり述べて、まとめる。生半なことではありませんね。拍手喝采。ただ、ちょっと誤りがありましたので、訂正した方が良いです。あとは個別メールにて。