第23号 賢治と歩む会の会報

『かしわばやしの夜』読後感想

     埼玉新聞記事
     埼玉新聞記事

 新型コロナ感染拡大に伴い、前回から『賢治と歩む会』は『鹿踊りのはじまり』を取り上げ紙上開催となった。会員から寄せられた感想や疑問に顧問の萩原昌好先生が、丁寧に解説してくださいました。

< 23号 会報より >

 前回の会報第二二号発行日は、八月二十七日で宮沢賢治の誕生日でした。その日付けの「埼玉新聞」に「賢治と歩む会」の活動(会報「あゆみ」紙面討論会)の記事を掲載していただきました。賢治ゆかりの地「熊谷」で、このような勉強会を行ってきたことを知っていただくとともに、少しでも多くの方に賢治の作品を手にしていただけたら嬉しく思います。

 さて、今回は「かしは(わ)ばやしの夜」について皆さまから感想を寄せていただきました。『注文の多い料理店』に収められた作品。さまざまな角度から皆さんが読み解いていらっしゃるところがとても興味深いです

『かしわばやしの夜』で思い出したこと      小 南

 この物語を読んでいると影絵が浮んできた。それは月をスポットライトに見立てれば、演劇のシナリオだ。

 清作が画かきに連れられて柏大王の前にやって来た。いきなり大王に「前科者じゃぞ。前科九十八犯じゃぞ。」と言われた清作は「うそをつけ、前科者だと。おら正直だぞ。」と切り返した。

 ところが「貴きさまの悪い斧のあとのついた九十八の足さきがいまでもこの林の中にちゃんと残っているじゃ。」と反論され、清作は「おれはちゃんと、山主の藤助に酒を二升買ってあるんだ。」と弁明する。

「そんならおれにはなぜ酒を買わんか。」、「買ういわれがない」、「いや、ある、沢山たくさんある。買え」、「買ういわれがない」との問答が違う場面でも繰り返される。

 賢治は、この辺りを考えてみろと言っているのだろうか・・・

 春休みのある日、祖母方の親戚で山師を生業にしている人がやってきた。山師とは、山主に掛け合い山の木を譲り受け、その木を運び出し需要家に売り渡す仲買人のことだ。

 冬の間に降り積もった雪も春先にはすっかり締って「雪渡り」のように冷え込んだ夜には自由に歩き回ることができた。この時期は伐採した木材を金そりに摘んで運び出すのに好都合なのだ。山師は、この機を逃す訳にはゆかない。山師はお酒を持って冬場には仕事もできず囲炉裏端に座っている山主を訪ねて廻る。今日は山主の承諾を得た杉林の木を見に行く相談に父の所へやってきたのだ。

 翌日、杉林を見に行く父について行った。すらりと真直ぐに伸びた杉の木を選んでは、父が木の太さを測り、山師は手帳に書き込み、杉の皮をナタで削り目印を付けて廻った。山師はその手帳を見ながら材木の容積(石高)を計算して対価を見積るんだそうだ・・・

 私が母に手提げカバンをねだっているのをその山師が偶々耳にしたようで、伐採した杉の小枝を片付けるのを手伝ってくれたらお駄賃を上げると言ってくれたのだ。私は嬉しくなって作業が始まるのを心待ちにした。

 父が手伝ってくれる村の木挽き(木こり)の手配を終え、杉の木の伐採が始まった。私もおにぎりを持って着いて行った。そして木を伐り出す前の儀式を見た・・・何十年もかけて育った杉の木に鋸を入れる前に、山主は山師から手渡されたお酒を根元に振りかけ柏手を打って拝んでいた。

 そして終いに木挽きの親方が、作業の安全を願って柏手を打った。今時は、現場に着くなりチェンソーでバリバリーと作業を始めるところでしょうが・・・私が子供の頃には、こうして自然界に謙虚に挨拶し、気を引き締めてから仕事を始めていたように思う。

 子供の頃、村の入会地の山を分け合い薪にする楢や雑木を伐る手伝いをしたことはあるが、こんな大木の伐採を見るのは初めてだった。杉の木を伐るには、運び出し易いように倒す方向を定め、倒れる時に立木に傷をつけないようにしなければならない。木挽きは倒す方向の木の根元に斧で切り込みを入れる。そして反対側から鋸を入れるのだ。大きな木挽き鋸はゴーシゴシ、ゴーシゴシとゆっくりしたリズムで山に響いた。時には鋸の動きが鈍くなると一升瓶から切り口に水を注ぎ込み、またゴーシゴシ、ゴーシゴシと挽いていた。そして切り口に木のクサビを打ち込んだ。更に倒す方向を調整するもう一本のクサビを打ち込むと杉の大木はメリメリ、ドスーンと音を立てて狙い通りの方向に倒れた。

 こうして仕事を終えると道具を片付け、山の神にお供えしたお神酒の残りを茶碗で酌み交わし夕暮の山を下りた。

 こうして一週間ほど山に入り選んだ杉を伐り倒し、十尺程に切り揃えて積み上げられた。この時、鳶のくちばしのように先の尖った金物に柄の付いたトビという道具が使われる。それには手元で使う短い柄のトビと太くて長い柄のトビがある。その長い柄のトビを梃子に使って重い丸太を軽々と自在に動かすのを見て驚いた。

 切り落とされた杉の小枝も一箇所に集められ、杉の葉が茶色に乾くと毎朝の焚きつけとして使われるのだ。後は金そりに積んでトラックの走る道路まで運び出すことになる。

 当時は、山を丸坊主にしてしまうような伐採はしなかった。ところが日本の経済成長の頃には山を切り崩して宅地に造成し、山の中腹まで家が建てられるようになった。そうして山林による治水のバランスが崩れていった。

 一方、快適さを求める人間の欲望は止めを知らず温室効果ガスの放出は続けられた。十年ほど前までは自室の窓を開け放ち、タオルで汗を拭いつつも夏を乗り越えてきたが、近年では「不要な外出は避け、クーラーを点け、水分を摂って熱中症に気を付けてください。」と日に何度も防災無線から流されるようになった・・・

 そして気象現象も大きく変わった。各地で降水量記録を更新するような集中豪雨が相次ぎ、甚大な土砂災害が報道される度に賢治童話の中で、自然と会話する人間の物語が思い起こされるのだ・・・

 そうそう、カバンの話。

 杉の葉の片付けを手伝って五百円ほどの駄賃をもらい、集落に一つしかない雑貨屋さんの棚に飾ってあったズックの手提げカバンを手に入れることができた。

 そのカバンを中学卒業まで使った。ズックのカバンの把手に沁み込んだ汗のように杉の伐り出しのことは心の中に沁み込んでいる・・・

 

< 編 集 後 記 >

▼菅総理が「2050年までに温室効果ガスの排出ゼロにする」と所信表明。

 賢治は、もっともっと早く気付いて欲しかったのではないだろうか(T・K)

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コメント: 3
  • #1

    新井あや子 (火曜日, 17 11月 2020 11:49)

    これを読ませていただいて、子供の頃の事を思い出しました。私は三人姉妹の真ん中だったので、母親より父親や祖母と過ごした記憶がある。冬になると後ろ山と言われた裏の山へ、父が伐採に行くのについていった。お昼になると持って行った御餅を焼いてもらって食べた。一日何をしていたのか覚えていないが、雪の間に芽吹いたものでも取って遊んでいたのだろうか?

  • #2

    湘南Boys・Watta (水曜日, 18 11月 2020 07:28)

    "切ってもいいかあ“ kennjiの森の木に気遣う やさしさ  どの話だか忘れたが今でも時々思い出します

  • #3

    コスモス (土曜日, 12 12月 2020 18:05)

    「かしわばやしの夜」のお話は読んでいないのですが、筆者の子供の頃のお話は興味深くよみました。平野で育った私などには想像もできないのですが
    「まさかり」や「オノ」は薪をわる時に使ったような、、、、それから根気よく勉強を続けていらっしゃると感心致します。賢治さんの像ですがクロスステッチのようですがどなたが作ったのかなー素晴らしいですね。