第24回 賢治と歩む会 会報

「かしわばやしの夜」感想文の講評篇

紙面での意見交換による勉強会

 新型コロナウイルス感染症の収束が見えないまま今年度も終わりを迎えることになりました。昨年五月に新たな形での勉強会を提案させていただき、紙面を通し意見交換ができ感謝申し上げます。

 今回は「かしは(わ)ばやしの夜」の感想の感想を萩原先生が寄稿してくださいました。お忙しい中、一人ひとりの感想に真摯に応えてくださり、心よりお礼申し上げます。今回の萩原先生の感想を読んでみると、現在顕在化しているさまざまな問題に対する示唆が与えられていることに気づかされます。前回の会報発行から時間を経ましたが、感染症によるパンデミックや震災後十年を経た今、深く考えることが大事だとも思います。

 次回のテーマですが、『注文の多い料理店』童話集最後の作品「烏の北斗七星」にさせていただきます。感想、疑問、また、日常のことなどを自由に書いていただければ有難いです。字数は八〇〇(あくまでも目安です)字以内でお願いします。原稿の締め切りは五月十五日㈯とさせていただきます。原稿はメールか郵便で瀧田までお願いします。住所とメールアドレスは上記してあります。なお、今後『注文の多い料理店』全体の感想を冊子の形でまとめたいと考えておりますので、再度読み返していただけると幸いです。

 宣言が解除されてもまだ収束は見込めず、対面での勉強会は先になると思われますが、みなさまのご健勝を祈りつつ、紙面での勉強会で学びを重ねたいです。

宮澤 賢治は日本初の「ジャズ文学者」

  ジャズ・ジャパン116号に「宮沢賢治は日本初の『ジャズ文学者』だった」と表紙を飾った。賢治は大正10年1月から8月まで文京区本郷で暮しているが、6月17日に日本初のジャズライブが金春館(新橋)と帝国館(浅草)の映画館で行われた。映画好きの賢治は、無声映画の楽団のジャズを聴いて興味をもったようで、初期のジャズファンの一人になった・・・この雑誌によると大正12年9月の賢治作品「火薬と紙幣」に日本で初めてジャズが登場した文学作品ではないかとあった。更に大正13年8月の花巻農学校で上演された「ポランの広場 第二幕」の幕開けの曲は社交ダンスのタンゴだった。また、大正14年7月の詩「岩手軽便鉄道七月(ジャズ)」で賢治も直接ジャズという言葉を使っている。

 「セロ弾きゴーシュ」のゴーシュとはフランス語で「下手くそ」という意味らしいが、セロが好きだった賢治はゴーシュに自分自身を投影している。そのゴーシュは水車小屋で猛練習を始めるが、そこへ猫、かっこう、狸、ねずみの親子がやってきて練習に加わる。三日目の晩にやって来た狸の子は、セロと小太鼓とを合わせたいと言いだした。そして「愉快な馬車屋」というジャズでのセッションを申し入れたのである。ゴーシュと動物たちとの交流を通して、合奏するセッションの大切さを伝えたかったのであろうか・・・賢治は自然界のあらゆるものに耳を澄ませ、その音一つ一つを聴きとるという日々のセッションを通して、それをオノマトベとして抽出してくれたのだろうか・・・

 そして四日目の明け方、野ネズミ親子がやって来て病気を治してくれと頼まれたゴーシュは、ねずみの子供を孔からセロの中に入れゴーゴーガーガーと弾いた。こうしてゴーシュは動物たちとのセッションを重ねて聴く者を癒すことができる腕前になったようだ。

 花巻農学校時代に賢治も親友の藤原嘉藤治とセロの稽古をしたようだが、彼のセロに穴が開いていたのを気の毒に思いセロを取り替えっこしたらしい。そして月日は流れ昭和二十年八月十日の花巻の空襲で宮沢家は焼失してしまったが、嘉藤治の手元にあったセロは焼失を逃れた。そのセロのf字孔から覗くと製作者・鈴木政吉というラベルに「1926.K.M」と賢治のイニシャルが刻まれていた( 『チェロと宮沢賢治』(横田庄一郎著、音楽の友社)  56p~より  〉。このセロは日本で初めてバイオリンを製作販売した鈴木政吉氏が作った高級品だった。この政吉氏の孫・鈴木良雄は早稲田のモダンジャズ研究会でピアノを弾いていたが、あの渡辺貞夫氏の勧めでベーシストに転向し、今や日本ジャズ界のレジェンドとして活躍されている。私にとっては、ここまで「賢治とジャズ」の話として繋がって来るのだ・・・

今回の「かしわばやしの夜」でも柏の木が次々とアドリブの歌でセッションをくり広げ盛り上がる。そこへフクロウの一団がやって来てジャムセッションとなるが、余りにもジャンルが違ったせいか上手く行かなかったようだ。このほかの賢治作品でもジャズのテンポを感じながらライブに参加した気分で賢治が折りなすセッションを味わうのも愉快だろう。                             以上

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コメント: 1
  • #1

    コスモス (水曜日, 24 3月 2021 21:23)

    ブラインドタッチの練習をして、飽きたのでブログを開きましたらまさかの再開にびっくり。賢治さんがジャズフアンなんて?大正時代に?それにセロという楽器もこの頃は聞かない様な、ベースも地味な楽器ですがあの音がないと締まらないとか音楽通の人が言ってましたが、どうも音楽は難しい。賢治さんはセロを友人に頼んで売ってしまったは、私の思い違いかしら。やはり賢治さんの文学の方が理解できるかなー。