賢治のお芝居と音楽会 2018.11.24

フランドン農学校のぶた

11月10日「第17回賢治と歩む会」に劇団シナトラの原田さんから「賢治の芝居と音楽会」の案内状が届き瀧田さんが参加される方は連絡してくださいと案内してくれた…

賢治童話「フランドン農学校の豚」をどこかで読んだことがあるような、そんな気になった…

いつも息子にジャズライブに誘われるので、今度は私が息子に芝居を見に行こうと声をかけたら、了解してくれた…これで自分で運転しなくともよいことを確認し、瀧田さんに電話を入れた…

暫くして原田さん経由で座席を確保できたとの連絡がはいった…

「玉淀大橋」を渡った対岸の河原に愛犬ラムを連れて泳ぎを仕込んだこともあり、お伽座のロケーションは判ったが、夕刻になるので息子はカーナビにセットしてくれた…

しかしながら、いざ走ってみると通り過ぎてしまい、引き返してセブンイレブンの人に聞いた…おそらく何回も「お伽座」の場所を尋ねられたらしく、外に出て来て手際よく教えてくれた…

5時を回り暗くなってきたし、有難かった…私はおにぎりと暖かいお茶を買い求め車に乗った…教わった道順に走ったが「お伽座」の前を通り過ぎてしまい、一回り廻って辿り着いた…今度は駐車場が判らず、戸を叩くと若い人出て来て懐中電灯を手に案内してくてた…そこは畑のような所だった…

中に入ると大正ロマンを感じさせる中々好い雰囲気で、お客さんも手に手に差し入れの袋を下げてやって来た…中には「新米」と書かれた包もあって、地域に根差した劇団なのだと実感した…私は椅子に腰かけながらおにぎり食べ開場を待った…

開場するとパンフレットとビニール袋が手渡され、履物を袋に入れ入場した…会場は13席4段に50席ほどの椅子がある小さな劇場であった…

私と息子は3段目の中央に座った…この高さだと舞台全体が見えるし、役者の顔の表情まで見逃すことはない、またとない観劇ができそうだが、場内撮影禁止のため、写真でお見せすることは叶いません…

この作品の冒頭原稿が1枚現存しないそうだが、お伽座の演出ではフランドン農学校の校長さんが、舞台に登場し観客に物語の背景を話しかけるように語り、私をスーット「フランドン農学校」の豚舎の前へと導いてくれた…

「ずいぶん豚というものは、奇体なことになっている。水やスリッパや藁をたべて、それをいちばん上等な、脂肪や肉にこしらえる。豚のからだはまあたとえば生きた一つの触媒だ。白金と同じことなのだ。無機体では白金だし有機体では豚なのだ。考えれば考える位、これは変になることだ。」と生徒が言ったのを聞いた豚は、自分の目方を白金の値段に換算してみて、豚はすっかり幸福を感じ、一人ほくそ笑んでいた…

しかし、その豚は、餌のかたまりの中に豚毛の歯磨楊子が一つ混じっていただけでも、頭がくらくらして、一日寝込んでしまわなければならないくらい繊細な感性の持ち主だった…

さてその豚がいよいよ殺されることになる一ヶ月前、その国で一つの布告が出された。演出家は、ここにフランドン王国のお姫様と王の亡霊を登場させ「家畜撲殺同意調印法」布告に至る物語を挿入し、観客を納得させてくれた…この「家畜撲殺同意調印法」は、誰でも家畜を殺そうとする者は、その家畜から死亡承諾書を受け取らなければならないというのだ。しかし、現実は牛でも馬でもみんな、殺される前の日には、飼主や買い手に無理強いされて泣く泣く蹄の判コを捺させられることとなった。 

フランドン農学校の豚は品種改良のための実験動物して飼われてきたが、まるまる肥ったその豚も、ある日、死亡証書を校長に見せられた。

「この世界に生きているものは、貴族でも金持ちでも、私のような中産階級でも、ごくふつうの者でも、皆一度は死ななければならないのだ」

「また人間でない動物でもね、たとえば馬でも、牛でも、鶏でも、なまずでも、バクテリヤでも、みんな死ななけぁいかんのだ。蜉蝣のごときはあしたに生れ、夕べに死する、ただ一日の命なのだ。みんな死ななけぁならないのだ。だからお前も私もいつか、きっと死ぬのにきまってる。」

「はあ。」豚は声がかすれて、返事もなにもできなかった。

「今日まで、学校としては、出来るだけ君によくしてきた。お前の仲間もあちこちにたくさんいるだろうが、わたしたちの学校ほどよくしてやったところはない。ついては、お前にほんの少しでも、ありがたいという気があったなら・・・・・・」

 と、いう二つの殺し文句を並べ、無理やり判コを捺させようとした。

「死亡承諾書、私儀永々御恩顧の次第に有之候儘、御都合により、何時にても死亡仕るべく候 年月日 フランドン畜舎内、ヨークシャイヤ、フランドン農学校長殿」と書かれた証書の文句を読んで見ると、まったく大へんに恐かった。

とうとう豚はこらえかねてまるで泣声でこう云った。「何時にてもということは、今日でもということですか。」と豚が尋ねると校長はぎくっとしたが…

こんなやり取りの末、三度目にいたって校長は、半ば強制的に判を押させる。というのも、ショックを受けた豚が不安のあまり食欲をなくし、みるみる痩せてしまったからで、急がないと肉が売れなくなってしまうからだ… 

こうして豚はとうとう判を押してしまうのだが、豚に同意する気持ちを起こさせたのは、恐怖感もさることながら、「その身体は全体みんな、学校のお陰で出来たんだ。」という殺し文句だった。

豚が証書に爪印を押すと、早速意地悪な教師がやって来て、肥育機を使って豚を太らせる段取りをした…

教師はバケツの中のものを、ズック管の端の漏斗に移して、それから変な螺旋を使い食物を豚の胃に送る。豚はいくら呑まいとしても、どうしても咽喉で負けてしまい、その練ったものが胃の中に、入ってだんだん腹が重くなる。

これが強制肥育だった。こんな工合でそれから七日というものは、豚はまるきり外で日が照っているやら、風が吹いてるやら見当もつかず、ただ胃が無暗むやみに重苦しくそれからいやに頬や肩が、ふくらんで来ておしまいは息をするのもつらいくらいに肥った…そして、ついにその日がやって来た…

俄にわかにカッと明るくなった。

外では雪に日が照って豚はまぶしさに眼を細くし、やっぱりぐたぐた歩いて行った。

 全体どこへ行くのやら、向うに一本の杉がある、ちらっと頭をあげたとき、俄かに豚はピカッという、はげしい白光のようなものが花火のように眼の前でちらばるのを見た。

そいつから億百千の赤い火が水のように横に流れ出した。天上の方ではキーンという鋭するどい音が鳴っている。横の方ではごうごう水が湧わいている。

さあそれからあとのことならば、もう私は知らないのだ。とにかく豚のすぐよこにあの畜産の、教師が、大きな鉄槌を持ち、息をはあはあ吐きながら、少し青ざめて立っている。又豚はその足もとで、たしかにクンクンと二つだけ、鼻を鳴らしてじっとうごかなくなっていた…これがクライマックスです。

『一体この物語は、あんまり哀れ過ぎるのだ。もうこのあとはやめにしよう。』と「なめとこ山の熊」で小十郎が仕留めた熊を解体する場面でも、賢治は残酷な描写を避ける…

これも賢治の優しさ故なのであろうか…

特に「フランドン農場の豚」は、食肉用として飼育され撲殺されてしまう豚の心の動きを描いた深刻な内容であったが、お伽座の演出はジョークを交え観客の肩の力を抜かせてくれた…

あのジブリ・アニメ「紅の豚」の名セリフ「飛べない豚は、ただの豚さ…」と白豚役の名優が、目をクリクリさせながら言うと会場からどうっと笑いが起こった…時には、くすっと笑わす風刺の利いたセリフにもマイッタ…「飲むなら乗るな、呑ませるな!飲んだら乗るなJR…」そして「飲んだら飛ぶなJAL!」と最近話題になった事件も登場し、演出の妙に脱帽した…

私も高校1年の文化祭で「ビルマの竪琴」の演出を担当したことがあるが、まだまだこんなゆとりはありませんでしたね…

このイラストを見るだけで出演者の顔が浮んでくる…それだけ印象深い演技だった…終演後の舞台挨拶にも演出の関本三芳さんは居なく、照明しながら二階から声だけ聞えた…

だが、開場前にドアを叩き駐車場を尋ねたときに対応して下さったかたが関本さんだったのかと思い起こしている…こんなに観客を引き付ける演出をする関本さんに是非お会いしお話を聞きたいと思った…

このイラストからは主役の豚を演じた俳優さんは想像しがたいが、幸運にも帰りがけにお会いできた…

その俳優さんはダウンコートを着て劇場の出口でお客様をお見送りしていた…「素晴らしかったです…」と声をかけると色白の優しそうなご婦人であった…そして握手したその手には豚の樋爪に見立てて巻いた白いテープはなく、柔らかく小さな手だった…暗がりで撮った写真では美人女優の素顔は見えず残念である…

今晩は大満足で車に乗った…途中でレストランに立ち寄りビールを呑みながらピザとパスタを食べた時には22時近かった…息子も多いに感動した様子で良かった…

家に帰り「フランドン農学校の豚」を読んでみようと手持ちの賢治童話集を探したが見つからず、ネットの青空文庫をプリントして読み始めて驚いた…あれ、あれ、先程の演劇で聞いたセリフと全く同じ文字が並んでいるではないか…それにしても、あんなにすんなり物語に溶け込んだのは何故だろうと思いつつ読み進んだ…そして賢治作品の原文に忠実だからこそ、賢治の世界へ入り込めたのだろうと思えてきた…

そんな「お伽座」に興味が湧きHPを見ると次のような紹介記事が載っていた。

 

『 お伽座は、1982年関本三芳を座長に、東京都板橋区中板橋の、町工場から始まった。1995年慣れ親しんだ板橋を去り、東上線の終点近い寄居町鉢形へ移転する。移転後も宮澤賢治にこだわり続けて、どんぐりと山猫、ケン十公園林、座敷童子、かしわ林の夜、いちょうの実(音楽劇)など演目に加える。

演目の18番は、宮澤賢治の童話「セロ弾きのゴーシュ」である。その他にも、銀河鉄道の夜、注文の多い料理店、よだかの星、なめとこ山の熊、洞熊学校を卒業した三人、猫の事務所等々殆どの賢治童話を、舞台に乗せている。

銀河鉄道以外は、ほとんど脚色せずに、賢治の語り口そのままに、演じつつ語る手法は、見る側の賢治像を損なわず、なおかつ新鮮である定評がある。 

こんな面白い賢治見たことない、と多くの方が評を下さった。 』

こんなに多くの賢治作品を上演してきた実績があるとは知らずに、アンケートに賢治作品の上演を希望すると書いたが、大いに期待できそうだ…

 

賢治はヴェジタリアンであったことは知られている。それは賢治は仏教で殺生戒に従ったためであろうと思われるが、異常なほど動物の肉を食うことを控えた。そのために羅須地人協会の頃には、それがもとで栄養失調に陥ることなっても、決して他人を強制することはなかったという…生き物の間には、食う、食われるの関係があり、どんな生き物もこの食物連鎖の中で生きている。賢治はこの連鎖を自然の摂理として認めたうえで、殺し合いではなくて生かしあいとして捉えようとしなのではないだろうか…強いものは弱いものを食うことによって弱いものに生かされているといえる、また弱いものは強いものに食われることによって強いものを生かしているといえると賢治は考えたのだと思う。そして家畜の死亡同意をとるということは、家畜に生かされているという自覚を形に表すことなのだと思う…しかし、物語のフランドン王国で布告された一見慈悲深いと思われた「家畜撲殺同意調印法』も、現実の運用においては家畜自身の選択で死亡同意書に印を押すというより「・・・のために」とか説得され半ば強制的に調印させられた…特に日本人は「家族のために」とか「お国のために」とかの大義名分に自己犠牲を払う気質があるように思う…

賢治もお国の身をささげることを強いられ、戦地へ送られる兵士を見て来た…

 戦時中の「赤紙」はフランドン王国における「死亡同意書」と同じだと思う…

 

この物語にはいろいろ考えさせられる…日本の人口構成が逆ピラミッドに少子高齢化が進行しており、漸次、高齢者の医療費が増え続けている…その医療費負担が増大し堪えきれなくなった政府は「尊厳死法」とか「終末期医療に関する調印法」などを法制化すかも知れない…そして「個人の選択」と言いながら「世間一般の風潮化」によって強制力を持つようになって行くかも知れない…例えば『孫の世代にツケを残さぬように・・・』などと言われたら、私は「終末期医療・尊厳死同意書」にハンコを押してしまうだろう…

さて、皆さんはどう思いますか?

 

2部の音楽会ではクロマティック・ハーモニカ奏者中里聡氏と、国際的に活躍されている小畠伊津子氏のピアノ演奏で、日本の懐かしい唱歌からクラッシックまで贅沢な構成であった…息子はクロマテック・ハーモニカ奏者中里聡さんのCD「ニューシネマパライダス」を求め、サインしてもらった…

フランドン農学校の校長先生も一緒に写真を撮らせてもらった…

私は「劇団お伽座」の小冊子「お伽文集」を買い求め、帰ってから読んで見るとジブリの映画監督・高畑勲さんも感想を寄せられていた…

それによるとお伽座の「セロ弾きのゴーシュ」をご覧になった宮崎駿さんの紹介がご縁のようですが、高畑さん作の漫画「セロ弾きのゴーシュ」を息子に見せてもらったことがあるのを思い出した…