高校時代の友人を偲ぶ会

 11月の最期の日曜日に上野で「友を偲ぶ会」を開くことができた。親友の彼は5月初旬に他界されたが、家族葬でしたのでお別れに参列することが叶わなかった・・・高校の同期の仲間も個人的に弔問させて頂いておりましたが、高校同期で故人と親しかった仲間で「友を偲ぶ会」を開きたいと思っていた。

 7月7日の七夕の夜に発起人3人で、その相談をする予定であったが、7月2日に私の義母が亡くなり、具体的な相談が出来ず延び延びなっていた・・・

 やっと10月20日に上野で会合を持つことができた。ここでほぼ段取りは決まったが、帰りがけに私が怒り出したようである・・・何に対して腹を立てたのか、未だに思い出せないが、親友が逝ってしまったことに対する寂しさがそうさせたのであろうか・・・ただ、ただ、2人の仲間には申し訳ないことをしたと思っている。

  上野駅の「かよひ路」
  上野駅の「かよひ路」

本日の会場「かよひ路」は、以前入江さんと一緒にお酒を酌み交わしたところである。彼は交友関係が広く多くの友達がいるが、今回は高校の同期に限定し、少人数で内々にやろうと計画していた。それでも、彼の奥様にも知れるところとなってしまい、奥様から是非とも参加させて欲しいとのお電話があり、お出でいただくことになった。奥様のエスコートは美穂さんにお願いしてあったので、安心して8人の仲間と到着をまった。予約しておいた部屋が別の宴会で使われており、入江さんとご一緒した部屋が本日の会場となったのも、たまたまであろうが因縁めいたものを感じた・・・午後2時半に予定通り会が始まったが、お隣の宴会が最高潮に達して声が聞こえない程で、故人を偲ぶ会には相応しくない状況に困ってしまった。3人の打ち合わせで、形式に囚われず、湿っぽくない会にしようと決めていたので、”まあ、しょうがないか”と腹をくくった。最初に茂林さんが、偶然にも入江さんが座っていた辺りを指差して「入江もその辺で見ているから、陽気にやりましょう・・・献杯!」と挨拶してくれた。それから私の方から、この会の趣旨の話をしたが、お隣の宴会の騒音にかき消されしまった・・・最後に「お隣さんもその内にくたびれて静かになるでしょうから・・・」と大きな声で付け加えた。

 案の定、暫くすると宴会も終了となり、静かに仲間の話が聞こえるようになり、ホットしてビールを飲み干した。堀さんが東京消防庁で上野界隈を管轄していたころ、入江さんが彼の紹介で行っていたスナックで偶然にも私と出合ったこと・・・その後も私は入江さんとそこでハチアワセしている。中学の頃、堀さんが初めて手にしたカメラで入江さんのジャンプの写真を撮ったことなど・・・思い出話が続いた。生まれ故郷の湯沢で、同じ時間に同じ空気を吸っていた仲間の話に奥様も共感したのか、にこやかながら時折目頭にハンカチをあてていた・・・こうしてそれぞれが、それぞれの想いを存分に語りあうことが出来て良かったと思っている。

 お話は留まることがなかったが、奥様が席を離れて暫くの間戻らなかったので、部屋をでてみるとやはり奥様は会計をしようとしていたのである。私は慌ててそれを止めたが、奥様がどうしてもとおっしゃるので入江さんと奥様の2人分の会費を頂戴することにした・・・このようなご迷惑をお掛けしたくないと内々の会にしようを計画したのであるが、申し訳のないことをした。

 それでも、入江さんの仲間に、あんな奴とあんなことが、こんな奴とこんな逸話あったのかと、奥様の心に残ったのではないかと思っている・・・

 ○ 高校に共に学びし友逝きて「かよひ路」に集ひ友を偲びぬ

 ○ 亡き友が座り居し部屋の隅さして「友も見てる」と献杯捧ぐ

 ○ 初めてのカメラで捉えし亡き友のジャンプの雄姿の眼に浮かび来ぬ

 ○ 高校のシャンテに並び酒飲みて校舎に空き瓶隠して帰りき

 ○ スナックの薄明り射す止まり木に名を呼びくれし友今はなく

 ○ 友を偲ぶ思い出聴きつつ目頭をそっと拭ひし亡き友が妻

 ○ 唱和せし「雪の降る街に」友偲ぶ「思い出だけが通り過ぎて行く」

 ○ 笑顔しか見せたことなき吾が友よ”怒りてもよし”出でて来よ今

 ○ 久々に電話をくれし友が声 最後となりき正月三日

 

 遅くなってしまったが「友を偲ぶ会」を開催できて安堵している。お出でいただいた奥様、参加者の諸君、そして幹事の皆様に感謝いたします。そして、このブログを書こうか書くまいか迷っていたら、内内の会もいずれ知れること、心の記録として書き留めておくべきと励ましてくれた友に感謝します。