『収集こけしとこけし画展』を観て

 <木地山こけし>
 <木地山こけし>

 八木橋デパートでこけし展があり、出展者が家内の女学校時代に教わった体操の先生だというので出かけてみた。松井貞夫という先生で、家内は何千人もの教え子の一人ですから覚えているはずもないが、当時の他の先生のあだ名など話ながら、昔を思い出されていたご様子でした・・・

 会場には、沢山のこけしが並べられており、その上に松井先生の切り絵が展示されていた。その切り絵は、極めて繊細なものであった。昔、”滝平二郎の切り絵”を真似て、年賀状を彫り続けたことがあった・・・

<木地山こけしの絵>
<木地山こけしの絵>

 秋田の木地山こけしの絵があったので、こけしはないのですかと尋ねると、初日に売却されてしまったと言っていた。私は、木地山こけしの地元の出身であることを話したら、昭和40年頃に木地山と小安峡温泉を旅したことがあると言っていた・・・そこで、地元でこけしを挽いている小南三郎氏の写真集『まんさくこけしと達磨』の話をしたら、是非見たいとのことでしたので、明日にもお届けすると約束をして帰った。

<松井貞夫先生と私>
  <松井貞夫先生と私>

 翌日、都合の良い駐車場を確保するために10時前に家をでた。ほんの5分程で到着して駐車できたが、まだ開店前であった・・・早速会場に向かったが、先生はなだ来ておりませんでした。

 そこでじっくりと切り絵を拝見して驚いた。昨日は、写真だばっかり思っていた”こけしの絵”はよくよく観ると切り絵だったのである。切り絵という先入観から平面的な絵だと思い込んでいたが、質感がありその陰影まで表現されていたある。それに気づき、一つ一つ丁寧に観て廻った・・・

<こけしも絵も売却済の最終日>
<こけしも絵も売却済の最終日>

  暫くして先生がやってきた・・・先生もお歳でお疲れなのでしょうか。先生とお約束した写真集と今朝プリントした私のブログ(①こけしの聖地木地山と②こけし工房を訪ねて)を渡した。

 待っている時に展示会の係員から、松井先生はオリンピックの体操選手の遠藤と同期だったと聞いたことを話してみた。高校時代の秋田国体で高校の体育館で披露された『小野隆・小野清子夫妻』の演技を観たことがあると話したら、小野選手も先輩で、清子夫人は2年先輩でよく知っているし、遠藤選手も小野選手も秋田の能代出身だねと懐かしそうに話してくれた。

 それから私のブログに『秩父セメントOB会のタイトル』を見つけて、松井先生のお父さんも秩父セメントに勤めていたと話が広がった・・・

 父親が秩父の寮にいる頃、何度か秩父へ出かけたこと、父親と渓流釣りをしたことなど、話が弾んだ。私も秩父の社宅で7年間暮らしたし、話をしてみると色んなご縁があるものだと思った・・・松井先生少年時代の思い出の木造の寮は随分早くになくなってしまった。昔は、体育館、運動場もあり、秋には職場対抗の運動会に家族そろって参加した。今では第一工場も更地になり、体育館も取り壊されたが、辛うじて木造の事務所とお社が保存されている・・・

その場所には、”秩父道の駅”が作られ立寄る人も多いが、昔を知る私にとっては、寂しい場所となってしまった・・・

 この写真は、展示会の最終日3月3日に先生のお許しをいただいて、スマホで撮ったものです。 もう少し作品をアップで撮ればよかった・・・