44年電気同期会 秋田男鹿半島

今回の同期会は、昨年の函館の宴会場で決められたことだ。当然、秋田出身の私も名目幹事の一員となったが、殆どのことは飛世・小倉・渡部の3氏が企画・実行してくれた。感謝しております。

そうは言っても新宿の『三平』で開かれた準備会に2度ほど参画した。この写真は橋本氏が送ってくれたものだが、彼はこれまで、いやこれかも同期会の写真を撮り記録に残してくれるであろうと期待しております。

 実は1月28日に熊谷に新宿のうたごえ喫茶『ともしび』がやって来て、その時のブログにこんな短歌を掲載した。 

 『うたごえ』のビラを配りき詰襟の津軽訛りの学友(とも)は何処に

すると飛世さんが小森さんと連絡を取ってくれて、新宿の『三平』で卒業以来の再会ができたのです。これは、熊谷に在住の”うたごえ”の仲間・金井さんを誘って出かけた時の写真です。 

  卒業後五十年経て『三平』に語らひ止まぬ『うたごえ』の二人

10月18日朝7時に自宅前で太田さんの車を待った・・・少し行き過ぎてしまったようだが、同乗の大川さんから電話が入った。間もなくUターンして来た太田さんの車に乗せてもらった。自宅まで迎えにきてもらって本当に助かった・・・ありがたいことです。

熊谷から羽生インターに向かい、高速に乗る前にコンビニに立寄った。すると太田さんは高速に入るとアルコール類は買えなと言って、私の籠にスパードライ(500ml)を入れてくれた・・・運転手に気が引けたが、ノンアルコール・ビールも買い込んで高速に入った。

ところが、高速に入って間もなく太田さんが、何やら印刷物を取り出し時間と見比べ出したのです。何んとそれはに目的地男鹿半島までの各ポイントでの予定時刻がプリントされていたのです・・・私はこれまで太田さんは男性的で雑駁な奴だとばかり思っていたのですが、頭脳は緻密な計算で動く繊細な人だということに驚かされてしまったのです・・・

    高速に入れば買へぬと友の言ひノンアルコールとビールを贖う

  友が立てし予定通りに走り来てビールの効きて予定狂わしむ

  遠足の前夜の如き夜過ごし後部座席に微睡みてしまゐぬ

  秋田に入り太平山にパーキングたばこくわへし友と出くわせり

  パーキングにアイス商ふ“おばこ”居て二十七年独り身と云へり

  鉛色の雲間にのぞく陽の光錦の帯成し海に映へたり

  荒磯に古びた番屋と舟一そう男鹿の荒海に鰰を待つや

  日本海の夕日観むとて集ひ来て寒さ身に沁みバスに戻れり

  「変しい変しい」とふ恋文書きし青春の『青い山脈』唄ふ古稀かな

  すっくと立ち『石坂洋二郎』の小説の艶ごと語る友のありけり

  病む兄の待つ街まではあといくつ『青い山脈』の聞へ来る駅

  茨城の訛りあまりに吾に似し故郷尋ねき学友(とも)の手握りしむ

  病癒へ細身のからだに浴衣着て「一生分の酒は吞んだ」と言いし友

  久々に『南部牛追い唄』せがめども酒絶ち決めし友は黙(もだ)せり

  湯につかり「出身は何処」と聞きし人に秋田訛りを感じ振り向く

  同袍寮に共に暮らせき友なれど五十年経し今日面影探す

  秋田での同期会とて参加せし病む妻気遣ひて友は朝たちぬ

 靖国参拝の賛否の主張とめどなく深夜二時まで議論つづきぬ

 『武島』を『啄木荘』にて深夜まで函館の人と議論かさねき

 函館の立待岬の写真もらひ啄木訪ねき旅甦る

  若きころ賢治が訪ねし『大迫』は『おおはざま』と読むと教へくれし友

  賢治でも向かひの酒屋で『もっきり』をひっかけたとふ風聞あるとか

  賢治の甥岩田研に学びし友の談『賢治はお酒を吞んでゐた』とふ

  こつこつと実証かさねし友が本『聖女の如き高瀬露』を読む

薪燃へて煙る民家に現れし『なまはげ』問答の訛り懐かしむ

荒ぶれる『なまはげ』の藁こぼれ落つ孫の土産に拾ひて帰りぬ

『なまはげ』の霊力やどる稲わらを孫の頭に結びてやりぬ

 初恋の人の名記されし「『小冊子』の黄ばみてもろし淡き思ひ出

 還暦に二人で巡りき武家屋敷手の温もりの忘れがたきも

 温かき秋の陽あびる武家屋敷思ひ出辿り電話してみる

 秋晴れの渓谷深く静もりて鮮やかな紅葉を水面(みなも)に映す

 絶壁にしがみつくように根をはりて風雪に耐へ天に伸びをり

 抱返りの滝の勢い凄まじく樹皮を剥がれし流木を打つ

今回の秋田での同期会が事故も無く終わって良かった。幹事の皆さまに感謝いたします。私の備忘録短歌にお付き合いいただき、ありがとうございます。

それから、私の偏見に満ちた記述に支障のございます方はご連絡をお願いします・・・即刻、訂正または該当箇所を削除いたします。

今回、鈴木守さんが持ってきてくれた、在学中の記録資料を拝見して思いを新たにしました。入学当初のアンケートを取りまとめた小冊子と『第2回 電気展』の企画段階からの詳細な記録を見てびっくりしました。『電気展』を実際に主導したのは3年生だった吾が同期のみんなだったからです。その頃からの同期の絆を50年もの歳月を経て繋いでくれたのは、飛世さんと彼をサポートしてくれた有志のお蔭だと感謝しております


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コメント: 1
  • #1

    飛世です。 (土曜日, 24 10月 2015 10:24)

    今回はdvdにまとめるべく、渡部さんが、奮闘中です。このプログ使わせていただきます