風の又三郎 空白の9月3日 (2)

2.「風の歌」と三郎の話し、明日の相談

 

  この谷川の岸の小さな学校に転校してきた三郎も三日目となり、村の童たちは三郎にも少し慣れてきて、好奇心の強い嘉助は休み時間に色々と質問したことだろう。すると三郎は前の学校のことや、これまでどんな所へ行ったことがあるとか、少し自慢げに話して聞かせたことでしょう。三郎の父親は山師ですから、値のある鉱脈を探して色んな地方を旅し、その鉱脈が見つかると鉱石の採掘が軌道に乗るまで暫くはその地に止まったに違いない。そんな時に三郎も転校生として、その地の小学校へ通い村の童たちとも仲良くなり、その土地の遊びを楽しんだことでしょう。

 しかし、どんな話の成り行きで、三郎が「風の歌」を唄って聞かせることになるのか、私には想像できなかった。でも三郎は山師である父親と一緒に色んな地方に住んだことがある筈だ。その中に「風の三郎様」の伝承を強く信じている地方があって、そこの村の童たちから「風の歌」を教わっていたのかもしれない。そして三郎は、あちこちの地方の出事を話している内につい自慢げに『どっどど どどうど どどうど どどう・・・』と唄ってしまったのでしょうか。しかし、9月12日の章は『先頃又三郎からきいたばかりのあの歌を一郎は夢の中でまたきいたのです。』から始まっており、三郎が「風の歌」を歌ったのは確かなことでしょうが、9月3日からだと間が空き過ぎるようにも思える。また『謎解き・風の又三郎』には、「風の歌」は基本的に風の精が自分に向かって、けしかけ、力づけ、励ますように呼びかける唄だと述べられていた。だとすると高田三郎は、風の又三郎だったのでしょうか。

 そんな三郎の話を静かに聴いていた6年生の一郎は、持ち前のリーダーシップを発揮して、転校生の三郎も仲間に入れて、翌日の休みに「上の野原」へ遊びに行こうと持ちかけたのではないだろうか。 そして9月4日の章の初めに、一郎が嘉助、佐太郎、悦冶をさそって「上の野原」へ向かう途中で、こんな会話がある。 「又三郎はほんとうにそごのわき水まできて待ぢでるべが。」 「待ぢでるんだ。又三郎はうそこがなぃもな。」 やはり9月3日土曜日に一郎は、みんなと「上の野原」に行くことを約束していたにちがいないなのです。               (つづく)