風の又三郎 空白の9月3日 (11)

  投網の投げ方(例)
  投網の投げ方(例)

11.おじいさんの投網

 

 母方の祖父の家に両側に持ち紐の付いた木箱に収められた投網があった。その祖父の若い頃は、たいそうな道楽者だったようだ。冬の夕方に母の実家で従姉弟たちと遊んでいるうちに吹雪がひどくなると、爺さん婆さんの寝床の隣に泊めてもらった。その寝床は、幅広の厚い板で囲まれた中に秋口に乾いた稲藁を敷き詰め、その上をゴザで覆ったフカフカのベッドのようでした。爺さん婆さんの隣は、ほのかな匂いもあったが、とても暖かくて気持ちよく眠りについた。

 ところが朝方になると決まっておばあさんの小言が始まるのだ。それは決まっておじいさんの若い頃の道楽や放蕩振りぶりの話で、最後には爺さんが友達に騙されて村一番の田畑を失った話へと続くのだった。この話は子供の頃に何度となく聞かされたが、爺さんはいつも婆さんに背負向けて黙って小言が終わるのを待っていた。今でも田んぼに囲まれた部落の共同墓地の地権者は、爺さん家の屋号・兵助であることからすると、恐らく実際にそんな出来事があったのではないかと思われるのだ。

 この投網も爺さんの道楽で買い求めた物であったようだ。秋には柿の渋を投網に塗り込んで乾かし、念入りに手入れをしていた。時には投網を肩にかけて庭先で投網を打ち、その広がり具合を確かめていた。きっと川魚が沢山かかった時のことを思いだしていたのだろう。 

  花巻の豊沢川(鈴木氏撮影)
  花巻の豊沢川(鈴木氏撮影)

 ある雪どけの春のことだ。川向うの長石田部落から吊り橋を渡り小学校に通ってくる子供たちが、吊り橋の下の浅瀬にカワザッコ(川雑魚、うぐい)が、黒い塊になって集まっていたと話していた。

 私は学校が終わって直ぐにおじいさんの所へ飛んで行き、この事を教えた。するとおじいさんは、投網の入った箱をアケビの蔓で編んだ大きな籠の中へいれ、それを背負って川に向かった。私もおじいさんの後をついて行った。

 村はずれの吊り橋の傍の崖を20メートルくらい降りて行くと、深さ膝下くらいの浅瀬にカワザッコがうようよ塊になってうごめいているが見えた。それを見たおじいさんは、素早く投網を取り出し、投網を半分ほど左の肩に掛け右手で投網の重りに着いた方を握って、川と反対側に大きく振って反動をつけながら、黒い塊目掛けて投げ打った。その投網は空中で大きく広がってから畳三畳分ほどの広さで、バサッと黒い塊を取囲むように落ちた。おじいさんはゆっくりと投網をたぐりよせてから、河原に引き上げた。そこには飛び跳ねるカワザッコがいっぱい入っていた。私が急いで魚を拾い集めて籠に入れていると、おじいさんが川の中には逃げようとして石の間に頭を突っ込んでいるザッコが沢山いるから、手で捕まえてくるように言った。川魚はぬるぬるしていて素手で捕まえるのは難しいだろうと思ったが、川の中へ入って手探りで魚を探し当ててみると、ちっともぬるぬるしなくて寧ろざらついた感じさえするのだ。私は次々と魚を捕まえては、河原の方に投げた。面白くて夢中でしたから、何匹捕まえたのかを覚えていない。 すっかりカワザッコを籠に取り込んでから、籠を川の中に浸し流されないように大きな石を籠の中に入れた。そして魚がまた集まって来るのを待つ間、石に腰を下ろし懐からたばこを取り出し一服しながら色々教えてくれた。ちょうど今頃がカワザッコの産卵の時期で、あまり流れの速くない所の拳ほどに揃った玉石の川底を選んで卵を産み付け、それにオスのカワザッコが群がって白子(精子)をかけるのだと言っていた。

 おじいさんが若い頃には、その産卵場所を自分で作ってあげて、魚が寄って来るのを待ち構えて投網を打ったそうですが、魚が寄ってきそうな瀬を選ぶのが難しいのだと言っていた。川の流れがないと酸素が不足して孵化しないし、流れが速すぎると産み付けた卵が流されてしまうことをカワザッコには解るのだそうだ。矢張り、その場所を人工的に作るのは難しい事だろうと子供心にそう思ったものでした。このように産卵のために群がってきたのを『ツキザッコ』と呼び、この頃にはオスの横腹は紅色のグラデーションに染まり、ぬめりが無くなる事も教えてくれた。最近になって川を遡上する鮭も産卵の時期に雄鮭の横腹が紅色に染まることを知り、カワザッコも同じだったのかと思った。それから一、二度投網を打ったがあまり多くは捕れなかった。最後におじいさんが、お前もやってみるかと言ってくれたのですが、子供の私には持ち上がらないほど投網は重かった。それでも投網を何んとか持ち上げて投げてみたが、畳一畳分にも満たない広さで足元に落ちてしまった。こうして重くなるほどのカワザッコを入れた籠に幾本か柳の小枝を折って、それを水にひたして魚に被せた。おじいさんもその日ばかりは、大威張りでカワザッコのいっぱい入った籠を背負って家に帰った。

                                                       (つづく)