風の又三郎 空白の9月3日 (12)

    想い出の須川湖
    想い出の須川湖

12.魚釣り

 

 この「風の又三郎」には村の童たちが魚釣りをする場面は出てこないが、大迫の外川目の近くには沼か溜池はなかったのだろうか。近くに沼がなくても川で魚釣りをしたのかも知れない。

 私は小さい頃から魚釣りも大好きでした。それは若い頃からの道楽者で、魚釣りをやっていたおじいさんの血を引いているからであろうか、いや伯父と兄がお酒を吞みながらの魚釣りの話を傍で聞いていたせいかも知れない。とにかく早く魚釣りをやってみたくて仕方なかった。伯父と兄の釣りの話によく出て来るのは「貝沼」と「板戸沼」であったが、「板戸沼」は行ったことはなかったので想像してみるしかなかった。

 「板戸沼」には、部落の名前が付いていたが戸平山の向側で奥宮山の直ぐ下にあり、3キロ以上の山道を登って必要があった。一方「貝沼」は隣部落ではあったが、沼への登り口まで2キロほどで、登り坂はそれほどでもなかったので小学生の時に遠足で行ったことがある。 

      須川湖
      須川湖

 この貝沼部落の同級生のT君が「貝沼」に連れて行ってくれることになったのだが、まだ釣竿を持ってなかった。すると川下の瀬野が沢部落のS君の家に竹林があるというので、土曜日の午後に学校帰りの彼について行って竹を一本伐ってもらった。その竹の枝をはらってもらった4メートル程の竹竿を担いで、2キロの道を足取りも軽く家に帰った。担任の黒沢先生の家は雑貨屋をやっていて、酒とか塩などの専売品以外なら何でも売っているというお店だった。その店に釣道具を買いに行き、釣り糸に釣り針、重り、浮までセットになっているのを買った。それから裏の畑でミミズを捕る頃には夕暮になっていた。

 翌朝は良く晴れた日曜日でした。学校へ行く時よりはずいぶん早起きして、母が作ってくれた弁当を持って出かけた。その頃はまだT君の家を知らなかったが、T君は「貝沼」への登り口で待っていてくれたのでほっとした。T君に連れられて山道を1キロ位登って行くと、そこに大きな沼が広がっていた。辺りを見渡しながら少し下って行くと水門があり、その水門を渡る土橋の先に沼に突き出た島のような所に弁天様のお堂があった。そのお堂の近くが良く釣れると言って連れて行ってくれた。

      須川湖
      須川湖

 早速、釣竿に釣り糸を結び付け、それから釣り針の餌のミミズをつけるのですが、初めてなのでどう付けたら良いか判らず、ミミズの頭の方に針を通して沼に投げ入れた。釣り針を投げ込んだ辺りには10センチほどのニガペ(沢や沼に住む小魚:アブラハヤ、アブラッペ、ニガザコ)が何匹も泳いでいるのが見えましたが、中々食いついてくれなかった。それでも暫く待っていると、浮がピクピク動いたので慌てて竿を上げたがニガペは掛からなかった。そんなことを何度か繰り返していたら、貝沼の同級生A君のお兄さんがやって来て、餌の付け方を直してからひょいと投げ入れた。私は母が持たせてくれた森永のキャラメルをポケットから取り出して食べながら浮の動きに目を凝らした。

 すると間もなく浮の動きに合わせて、竿をぴっくと動かしてから上げると待望のニガペが掛かっていたのだ。それをカッコベ(びく)に入れながら、友達の兄さんが「キャラメルを一つけ(呉れ)だら、まだ一匹釣ってやるべぇ。」というので一つあげた。私は傍に座ってその人が釣ってくれるのを見ていたが、その度にキャラメルが一個ずつ少なくなり、とうとう空になってしまった。するとそのお兄さんも帰って行った。

 その後、自分でも一匹か二匹釣ることができた。こうして私は小さい魚を釣るときの餌の付け方と水深に合わせて浮下を調節することを覚えたのだ。この小さいニガペ十二、三匹を持って家に帰ったら、折角釣って来たのだからと言って、祖母が丁寧に串に刺して焼いて弁慶に刺してくれた。

      須川湖
      須川湖

 祖母が弁慶に刺してくれた魚を見ていると、浮の動きにタイミングが合った時に手に伝わって来る振動が思い出されて来るのだった。

 このような釣りのワクワク感を知ってしまった私は、どうしても山の上の「板戸沼」に行って見たくて仕方なかった。今年もガンザの花(さしどりの花)が咲きだしたから、「板戸沼」でもニガペが連れる頃だという話を学校で聞いて、家に帰って「板戸沼さいぎでぁ。」と言い出した。

 すると心配した母が四つ年上の子に連れて行ってやってくれと頼んでくれたのだ。喜んでその子の所へ行くと、土曜の午後に餌にするクダムシをいっぱい捕っておくように言われた。

 このクダムシは澄んだ水が流れる堰にいて、流れてくる細かいゴミや周りの砂などを巻き着けたストロー位の管に入っている幼虫なのだが、魚が良く釣れる餌だった。ただ、未だに何の幼虫だったのかを知らない。土曜日の学校が終わるのを待ちかねて、従弟にも手伝ってもらいミルク缶に半分ほどクダムシを捕った。そして空気が入るようにミルク缶の蓋に釘で穴をあけておいた。

      須川湖
      須川湖

 次の朝は早く目を覚ましてご飯を食べて支度を整え、母の作ってくれる弁当が出来るのを待った。風呂敷に包んだ弁当を腰に結わえ、釣り道具をもって出かけたら校門のところで仲間が待っていてくれた。

 「板戸沼」は村はずれから若畑部落への道を進み、途中から小川を挟んで反対側の道を戸平山に向かって登って行くのだが、小学校2年生の私には少し大変でした。それでも大きい子の後ろから着いて行き、とうとう登り切った。そして木の間から「板戸沼」が見え始めると仲間の様子が一変し、良い釣り場を目掛けて駆けだした。両側から木や草が生い茂った細い道らしきところを走って行くのだ。私も縣命に追いかけて行った。早く着いたからといってそれほど多く釣れる訳でもないことを思うと、これも遊びの一つだったのかと今になって思い返している。

 今度は餌の付け方のコツも浮下の調節も知っていたので、自分で釣ることができた。昨日捕った「クダムシ」はミミズよりも食いつきが良かったので、私でも結構な数のニガペを釣ることができた。それでもKさんという二つ年上の子は名人で、その時も百匹以上のニガペを釣った。それからは、一つ年下の従弟を連れて、何度も「板戸沼」に釣りに行き、釣り針を二本にしたり、三本にしたり工夫しながら沢山のニガペを釣ることができるようになった。だが、魚は早朝と夕暮に喰いつきが良いが、真昼はそれほどお旺盛ではない。そんな時に沼は鏡のように緑の山波を写し、若葉の香りがかすかな風に漂い、カッコウー、カッコウーと鳴き声が響きわたると、とろりとろりと眠気をもようしてしまうのでした。

                              [つづく)