第5回 熊谷短歌会文学散歩

日本の資本主義経済に貢献した渋沢栄一翁論語の里を訪ねて

 実はこの文学散歩の計画を進めていた方が、今年の1月に急に亡くなられてしまった。ここ数年文学散歩の実施ができずいたが、3月の理事会で今回も中止が決まろうしていた。せっかく概略の候補地まで検討していただいたのにと私が計画を進めることを申しでた。実は、以前に渋沢栄一記念館を訪ねた時のブログを同袍寮の同室だった北海道の先輩に送ったら、帯広近郊にも渋沢栄一の功績を讃えた記念碑があり、地元では忘れずに今も生き続けているとの便りをもらった。私は渋沢栄一の本を2冊お送りして、6月に文学散歩で再び訪れることを楽しみにしていると手紙を送っていたのだ・・・

 それから短歌会の会長とメールにて相談して計画を練り、秩父鉄道の役員を歴任した会社の同期に紹介してもらい、秩父鉄道グループの会社ともう一社の相見積もりを取り秩父観光興業社にお願いすることになった。

 何しろ計画がずれ込んだために、会員各位にお知らせするタイミングを逸してしまい、130名近い会員にダイレクトメールを出さねばならなかった。そのために文学散歩の見学コースと募集要綱の作成を急ぐ必要があった。本来は担当役員で手分けして進める仕事ではあるが、時間的ゆとりがなく私一人で作業することとなった。何しろ130名もの宛先を封書に印刷し、案内書を三つ折りにして糊付けするのは大変でした。こうしてみると同期会の資料を発送してもらっている飛世さん、小倉さん、渡部さんに頭が下がる思いがした。

 こうして定員の27名に達したものの12日当日には、都合が悪くなった方もあり予算ぎりぎりの参加者となった。その当日は少し早めに熊谷駅南口に着いたが、すでに多くの参加者が集まっていた。ところが集合時間が近づいても中々お目当てのバスがやってこないのだ・・・私は南口のロータリーを2,3度行ったり来たりしながら一人で冷や汗をかいていた。もし手違いがあったらどうしょうかとの思いで電話をしたが、生憎の日曜日で一向に電話が繋がらなかった。でも、時間までには黄色いボディにTCBと書かれたバスがやって来て定刻には本日のバスツアーが発車できたときにはホットとして席に着いた。

 渋沢栄一翁については説明を要しないと思うので、ここでは文学散歩の訪問地を紹介する。

見学場所:誠之堂・清風亭~渋沢栄一記念館~

旧渋沢亭(中の家)~昼食(一兆深谷国済寺店) ~ 日本煉瓦製造(株)~ 熊谷駅南口

 さすがに熊谷短歌会の文学散歩だけに会長から6月末までに短歌2首を提出すべしとの宿題が課されている。幸い深谷市教育委員会の文化振興課を通してボランティアでご説明いただける方々をお願いしておきましたので、参加された皆さんは熱心にメモを取りながら拝聴していた。きっと良い短歌が数多く詠まれることだろうと期待している・・・

Ⅰ.誠之堂・清風亭

「誠之堂」と「清風亭」の2つの建物は、深谷市で生まれた渋沢栄一にゆかりの建物で、平成11年に東京世田谷区から深谷市に移築された。

ともに建築史上、重要な建物で、「誠之堂」は平成15年、国の重要文化財に、「清風亭」は平成16年、埼玉県指定有形文化財に指定された。

Ⅱ.渋沢栄一記念館

 平成7年(19951111日(栄一翁の祥月命日)に開館した渋沢栄一記念館です。館内の渋沢栄一資料室には、栄一翁の遺墨や写真などたくさんの資料が展示されている。記念館の裏手には、深谷駅前から移設された巨大な渋沢栄一像が立って居る。その像は今でも昔盛んだった藍染の楮畑と遠くに広がる赤城山の山々を眺めている。時間があったら是非ご覧ください。

Ⅲ.旧渋沢亭(中の家)

この屋敷は、渋沢家の住宅等として使われてきたもので、通称「中の家(なかん  ち)」と呼ばれている。昭和58年からは「学校法人青淵塾渋沢国際学園」の学校施設として使用され、多くの外国人留学生が学んだ。渋沢栄一は幼いころから論語を学び論語を諳んじる程であったと言い、生涯その教えを守り倫理と利益の両立を貫いた人である。平成12年、同法人の解散に伴い深谷市に帰属し、現在に至っている。

Ⅳ.日本煉瓦製造(株)

秩父セメントの創立者諸井恒平の母佐久は、渋沢と従姉弟の関係にあり、恒平は渋沢栄一が創立した日本煉瓦製造株式会社に入り工場運営を習得した。後に渋沢翁は、秩父セメント創立に際し大正1183日に秩父の現地視察に同行し地域産業の発展に貢献した。尚、当地で製造された煉瓦は、東京駅や東宮御所(現赤坂迎賓館)などに使用されており、日本の近代化に大きく寄与したといえる。