岩大電気科44年 同期会 (16.6.⒚ 前編)

宮沢賢治の詩碑巡りと八幡平のお花畑散策の記

< 6月19日 同期会の仲間と合流 >

私が宿泊した「北ホテル」は県庁の裏手で公会堂のはす向かいであった。早朝2時間程の散歩でお腹も空いてきたので、ホテルの向かい側のローソン(翌日雨傘を求めた)でおにぎり2個、豚汁それにお茶を買い求め、ホテルで朝食を食べた。

お腹が満たされたら、何だか眠気をもようし時計をみたら、まだ8時半だったのでベットに横になったらうとうとしてしまった。フロントからの電話で目を覚ますと宮手さんが迎えに来てくれていた。「湘南 Old Boys」のホテルに着くと小倉さんが外で待っていた。

暫く女鹿さんの車を待った・・・女鹿さんも北ホテルに私を迎えに来てくれたようで、申し訳ないことをした。

宮手さんが「これからイブリガッコになるから・・・」と言って私を車に乗せて出発した。女鹿さんの先導に従って暫く走ったころ、鈴木さんから「岩手山の焼け走り登山口に着いた。」との電話が入った。先導車の女鹿さんに連絡をとり「岩手山の焼け走り」に向かった。

 (岩手山焼け走り登山口駐車場)
 (岩手山焼け走り登山口駐車場)

焼け走り登山口に着いてみると駐車場が満杯状態であった。警備員に尋ねる広場でクラシックカーのイベントがあるのだと応えた。普段なら手を振れば、鈴木さんが見つかるのにと女鹿さんが言っていたが、携帯電話で連絡を取りやっと鈴木さんと落ち合った。

焼け走り登山口へ行くために道路を渡ろうとするが、車がどんどんやって来て中々横断出来なかった。丸太で組まれた急な階段には、ごつごつした火山弾が敷き詰められ、歩きにくい階段を登って行くと俄かに岩手山の焼け走りの景色が開けた。

学生時代に岩手山には何度か登ったが、焼け走り登山口から岩手山を眺めたのは初めてだったような気がする。

岩大電気科の校舎の屋上からの見慣れた岩手山とは異なり、左右対称に雄大な裾野をゆっくりと広げたような素晴らしい岩手山に改めて感激した。

焼け走り登山口から道路沿いに2Kⅿ程戻ったところに賢治の詩碑があるというので鈴木さん案内してもらった。実は、先週NHKのBS3で火野正平の「ここ旅」がここを訪れたの見て、こっそり宮手さんと鈴木さんに案内して欲しいとメールでお願いしておいた待望のスポットなのだ・・・

     鎔 岩 流

             宮沢賢治

 

 

喪神のしろいかがみが

薬師火口のいただきにかかり

日かげになつた火山礫堆の中腹から

畏るべくかなしむべき砕塊熔岩(ブロツクレーバ)の黒

わたくしはさつきの柏や松の野原をよぎるときから

なにかあかるい曠原風の情調を

ばらばらにするやうなひどいけしきが

展かれるとはおもつてゐた

けれどもここは空気も深い淵になつてゐて

ごく強力な鬼神たちの棲みかだ

一ぴきの鳥さへも見えない

わたくしがあぶなくその一一の岩塊(ブロツク)をふみ

すこしの小高いところにのぼりさらにつくづくとこの焼石のひろがりをみわたせば

雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き

雲はあらはれてつぎからつぎと消え

いちいちの火山塊(ブロツク)の黒いかげ

貞享四年のちひさな噴火から

およそ二百三十五年のあひだに

空気のなかの酸素や炭酸瓦斯

これら清洌な試薬によつて

どれくらゐの風化が行はれ

どんな植物が生えたかを

見ようとして私の来たのに対し

それは恐ろしい二種の苔で答へた

その白つぽい厚いすぎごけの

 表面がかさかさに乾いてゐるので

わたくしはまた麺麭ともかんがへ

ちやうどひるの食事をもたないとこから

ひじやうな饗応(きやうおう)ともかんずるのだが

  (なぜならたべものといふものは

      それをみてよろこぶもので

      それからあとはたべるものだから)

ここらでそんなかんがへは

あんまり僭越かもしれない

とにかくわたくしは荷物をおろし

灰いろの苔に靴やからだを埋め

一つの赤い苹果(りんご)をたべる

うるうるしながら苹果に噛みつけば

雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き

野はらの白樺の葉は紅や金やせはしくゆすれ

北上山地はほのかな幾層の青い縞をつくる

  (あれがぼくのしやつだ

      青いリンネルの農民シヤツだ)

    (立山の春スキー)
    (立山の春スキー)

私が山とスキーが好きなことを知っている女鹿さんが八幡平まで先導してくれた。

学生時代には車を所有している家は少なかったが女鹿さんが車を借りてきて、盛岡から立山の春スキーに出かけたことがある。その日は、富山の兄と叔母の家に分宿し、翌日室堂平まで登った。

ところがその日は山小屋が満杯で、別の山小屋を紹介してもらい荷物を担いで歩いた。そして行く途中で雷鳥を見た。

その翌朝に靴底の平らなスキー靴を履いて、雄嶽頂上の石の祠まで登った。

無謀にもアイゼンも着けず、まだ凍結している岩場を滑落せずによく登ったものだと写真を見る度にぞくぞくしてくる。

一ノ越からスキーを履いて美女平まで滑り降りた。夕方、富山の叔母の家でお寿司を馳走になり、途中の温泉宿に泊まって暖かい布団で手足を伸ばした。 翌日、鳴子に立ち寄り盛岡に帰った。その頃は高速道路など出来てなかったし、時間距離でみると倍以上の遠さだったに相違ない。特に親知らずを見下ろ しながら走った新潟県は長かったと今でも思い返している。

八甲田の初滑りでは混浴の酸ヶ湯温泉に泊まったり、お風呂に金髪の女性が入っていると大騒ぎしたこともあった。それに網張スキー場へは何度となく連れて行ってもらったし、早池峰登山、三陸海岸など色んな所へ仲間と行った。

     (立山の一ノ越)
     (立山の一ノ越)

この度、その仲間の浜島さんが、これらの懐かしい山行の写真をアルバムに整理して名古屋から持参してくれた。

今頃、女鹿さんもこのアルバムを持ち帰り、しげしげ眺めていることでしょう。

会社に入ってからも女鹿さんがスキーを積んで蔵王まで来てくれたこともあった。

一緒に滑った様子が「セメント野郎の休日」という8ミリに記録されていて、時折そのDVD版を懐かしく眺めている。

今日は宮手さんの車に乗せてもらい、八幡平を目指した。同期会の候補地だったという八幡平ホテル近くの道路には、白樺並木が続き高原の爽快感を醸し出してくれた。うねうねと長い坂道を登りながら「大揚沼モリアオガエル」の話をしてくれた。

更に進むと右手に藤七温泉の露天風呂が見えてきた。車が崖の上にさしかかると、遠くに二人の裸体の後ろ姿があった。

こんな自然に囲まれて世俗からの開放感を満喫しているのであろうと思った。

遂に八幡平頂上レストランまで登って来た。梅雨の晴れ間の好天に恵まれ、爽やかな空気を吸いながら、眺望を楽しんだ。

しかし、遠くに見える岩手山は、焼け走りからの山容と異なり、鬼牙城であろうか荒々しい鋸状の輪郭を見せていた。

下の駐車場に車を止め、このレストランまで登ってきたが、道路脇には雪解けの春を待ちかねた高山植物が花を咲かせていた。

山野草に詳しい鈴木さんに花の名前を教わり、身を乗り出してシャッターを切った。

このレストランで昼食を採った。地下の食堂はスキー場のような雰囲気であり、それぞれ好みメニューをオーダーしたが、一人だけ昨夜の2次会でアクセルをふかし過ぎたようで、みんなと少し離れたところでお水を飲んでいるようだ。

女鹿さんが下の斜面を指さしながら、「いつもの年ならまだ雪が残っていて、今頃でもスキーができるのだが、今年は雪が少なかったから、上のお花畑で色んな花を咲かせて皆を待ってるよ。」といちいち花の名前を挙げて話してくれた。

昼食後、3時からの受付に備え小倉さんと飛世さんが、宮手さんの車で下山することになった。私と渡部さんは、女鹿さんと鈴木さんに先導してもらってお花畑まで登ることにした。昼過ぎには気温が上がってきたので、私はジャケットを車にいれカメラだけを持った。それでも水分不足を心配してくれた鈴木さんがペットボトルの水とアサヒドライのラージ缶を2本求めて来てくれた。

渡部さんはペットボトルを私はアサヒドライをぶら下げて、秋田県との県境の登山道を登り始めた。看板には八幡平頂上まで約2Kとあったが、焼け走り登山口から賢治詩碑までの側道の約2Kとは訳が違った・・・

私は昼に飲んだ缶ビールがしだいに効いて来たようだし、渡部さんは昨夜のオーバーヒートがたたっているようだ。彼は学生時代にサッカー部で足腰を鍛えていたはずなのに、とんとその痕跡は見られない状態である。一方、女鹿さんと鈴木さんは山歩きに慣れているようで、その足取りは極めて快調のようすだ。

私は17年ほど前に肺を4分の1を切除しているので排気量も少ない上に、山歩きとは程遠い暮らしをしてきたせいだと自分に言い聞かせながら、息を荒げつつ後に続いた。先導の二人は時々振り返って立ち止まってくれた。

やっと登り切って目を上げると遠く岩手山が眼の高さに見えた。そこで手に持っていた缶ビールの蓋を開け、ぐびり一口呑んだ。

いつもなら、そのままぐびぐび行くところだが、先ほどまでの自分の歩き具合を考えると、今日は少し慎重であった・・・

亀のようなノロノロ歩きでは、昔だったら激が飛んだところであろうが、先導の女鹿さんには、ゆとりの優しさを感じた。

こんなにのんびりした山歩きが許されるのなら、また始めようかなと思わせてくれた。

そして、山の空気の美味しさをすっかり忘れていた私に鶯が「ホーホケキョ ケキョケキョ」と呼び掛けてくれた。

きれいな花を見つけると木道に缶ビールを置き写真を撮り、そしてまたビールを呑んでは木道を進んだ。完璧なまでに山行装備ととのえた人と時々この木道ですれちがい挨拶を交わした。恐らく缶ビールを片手に持った私を見て「不謹慎な奴だ」と嘆いたであろうが、当の本人は、至って清々しい気持ちで、ゆるゆると散策していたのだ。

渡部さんは、どうも昆虫や鳥などの生き物に興味があるらしい。今、葉陰にとまった鶯を撮ろうとカメラを構えていたのだ。このことは彼のHPからも伺い知ることができる。

さて、今日の八幡平お花畑の散策も終わりに近づき、厳冬の偏西風に耐え抜いた松ともお別れの時が来た・・・

     はくさんちどり
     はくさんちどり

これで八幡平の「はくさんちどり」ともお別れだ。朝ドラ「どんど晴れ」では足を病むお客様を励まして、この花を探しに来るシーンがとても印象に残っているが、この花は自動車道の脇に咲いてた・・・

この後、鈴木さんの案内で賢治碑を訪ねますが、この頁も重くなってきたので、頁を改めることにする。

                              (つづく)