SPACE 1497 ライブの日

山本 剛のピアノと与世山 澄子のヴォーカル

 6月15日この日は、息子の定期健診なので車で朝8時半ごろに出かけた。梅雨空の中、雨が少し降り始めていた。9頃に高速道路に乗ったら、気まぐれなゲリラ豪雨がやって来た。前を走る大型トラックが巻き上げる水飛沫が、まるで真っ白なカーテンのように行く手を塞ぎ、微かに黒いタイヤが確認できる位の視界であった。私は「飛ばすな、飛ばすな」と繰り返すことしかできなかったが、助手席で体を強張らせていた・・・

 今日は、肺機能検査とCTがあるので時間がかかると思っていたが、受診の回り方が上手くいったらしく、意外と早い時間に終わった。受診受付でポケベルを借りて早めの昼食を済ませ、診察室の前に来ると40代位の夫婦がいた。奥さんの方が酸素ボンベで吸入し、左手の指先に酸素濃度をモニターする小さな器具を着けていた・・・その横で旦那さんが看護師から入院手続きの説明を受けていた。私も7年ほど前に同じようなことを体験していたので、当時のことが思い起こされて、ぼんやりと昔の光景が浮かんでした。

 診察も無事に済ませ帰路についたが、ゲリラ豪雨がまだウロウロしていたようだが、朝程ではなく佐野サービスエリアで一休みして3時半頃に家に帰った。今日は何だか疲れしまい、ベッドに横になりひと眠りしてしまった・・・

 今日は楽しみにしていた「SPACE1497」のライブがある。夕刻に目を覚まし、サラダなどの簡単なおかずとレトルト食品で夕食を済ませ、息子と車で出かけた。もう豪雨は去り小雨がパラつくくらいで、30分程で会場についた。ここは、時々来ている馴染みの場所なので最前列の好い席が取ってあった。

ピアノの山本剛さんはChinさんと一緒に何度も聴いているが、沖縄からやって来た与世山澄子さんのヴォーカルは初めてである。

息子からネットで調べた情報を渡されていたが、まだ目を通していなかった。彼女はジャズバー「インタリュード」のオーナーでジャズシンガーとしても活躍しており、沖縄のジャズ界では有名な人らしいのだ。

沖縄と言えば戦後米軍が駐留し、70年も前からジャズが巷を流れ、その米兵にジャズを歌い聞かせ、本場のジャズ通をも唸らせてきた彼女の実績は、只ものではなかった。英会話など縁遠い私でも彼女の歌う表情を見ながら聴いていると、その歌の内容が胸にジーンと響いてくる不思議なパワーを感じた。

 今回、香川裕史さんのベースも初めて聴いた。スラリと背が高く、白のスーツを着てベースを弾く姿は絵になっていた。彼が曲を口ずさみながらの表情は豊かで、ジャズの雰囲気を盛り上げていた・・・いつも聴いているChinさんのベースが耳に馴染んでいるが、彼のベースも心地良かった。

 休憩時間に予約席の名前を見ていた隣の人に話しかけてみた。その人は松葉杖を使っていたのですが、手足が痺れ7回も手術をした上にくも膜下出血までも患ったが、そのリハビリのためにドラムを叩き始めたそうだ。

 それが高じてドラマーになったと話してくれた。今日は師匠のバイソン片山さんのライブに一人川越からやって来たのだ。ドラムを叩いて自分の障害に立ち向かい、バイタリティー溢れる彼女からパワーを貰って帰った。

 バイソン片山さんは、若いころ俳優もやっていたとかで中々のハンサムであった。そしてドラムも素晴らしかった。確かなリズムで控え目なときとパワーを出した時のど迫力との落差が印象に残った。それに山本剛との呼吸の合わせ方は、流石にプロフェッショナルの域に達した技の凄みを感じさせてくれた。

 何度聴いても山本剛のピアノは、楽しませてくれる。彼は私と同じようにお酒が好きなようで、いつも焼酎の水割りを手元に置いて演奏に入りる。そして時折そのグラスを手にとり一口含んだあとの調べを楽しみしているのだ。いきなりキャラバンのメロディーが流れだしたり、時には耳に馴染んだ演歌、またある時は昔懐かしい童謡と変幻自在のアドリブを挿入してくるのだ・・・

 おそらく初めてジョイントしたプレイヤーは戸惑いを感じるに相違ない。今回も曲のエンディングに北原白秋の「いつか来た道」をちょろりと入れてきた・・・しかし佐渡ケ島出身の彼は、反面トークが苦手なようでライブではあまり多くを語らない。その分をピアノで語りかけているのかも知れない・・・

 今晩はなんといっても76歳で現役のジャズシンガー与世山澄子さんの声量に圧倒された。私は今73歳であるが、最近は左足にわずかながら痺れを感じたり、よく足がつるようになってきた・・・

息子は、山本剛さんと与世山澄子さんのCDにサインをもらい喜んでいた。それに隣のドラマーにバイソン片山さんのアルバムを紹介してもらい、バイソン片山さんと談笑しながらサインをいただきご満悦であった。