風の又三郎 空白の9月3日 (15)

   皆瀬村の桁倉沼
   皆瀬村の桁倉沼

15.鍋っこ遠足 中学に入るとナベッコ遠足があると言うので楽しみにしていた。私が通っていた奥宮小学校と立岩小学校、それに村から稲庭小学校へ通っていた子供たちが、役場のある菅生の皆瀬中学校に集まってくるのだ。 それでも私の学年は2クラスで80人弱の小さな中学校であったが、楢の木々に囲まれた木造平屋建ての校舎と別棟の職員室があった。更に体育館には屋内ステージに加え丸いドーム型屋根で覆われた屋外ステージがあった。その前には一周300メートルほどのグラウンドが広がり、その横に農業実習の畑があった。それに調理のできる家庭科実習の教室と2階には図書室と先生方の忘年会が出来る程の畳の部屋があった。その1階は大きな厨房と小遣いさんが寝泊まりする部屋があり、そこは先生がたの溜まり場でもあったようだ。 校舎の裏手には草原と松林になっていて、昼には仲間と車座になって弁当を食べた。私よりも6歳年上の兄たちが、統合された皆瀬中学校の第1回目の卒業生だというから、古ぼけて床が継ぎはぎだらけだった小学校に比べれば、まだまだま新しく思えたものだ。

 須川湖(板戸沼もこんな感じ)
 須川湖(板戸沼もこんな感じ)

 さて「板戸沼」のなべっこ遠足のことだが、多分学年別に行われたと思うのだが、春だったような気もするし、秋だったような気もするし、はっきりしなくなってしまった。  でもなべっこ遠足は、男女混合の班に分かれて前日までに持って来る物の分担を決めた。それは鍋や味噌を持って来る者、里芋だのササギだの味噌汁の具になる物を持って来る者の分担を決めておくのだ。

 そして想いを寄せる女の子と一緒の班にならないものかなどと思ったり、正に思春期真っただ中の十五の心は多感であった。

 板戸沼での炊飯(学生時代)
 板戸沼での炊飯(学生時代)

 当日は一旦学校に集合し、歩いて「板戸沼」に向かった。私は学校から2キロほどの道路沿いにある自宅に寄って用意して置いた釣道具を持って再び列に加わった。また3キロほど山道を登り、若畑部落を通って坂道を少し登って「板戸沼」に着いた。その沼沿いの細い道を一列になって進み、山からの湧水が注ぎ込む沼頭の辺りに集まった。

 それからは各班に分かれて味噌汁などの昼食の支度に取り掛かった。それぞれ枯れ木を拾い集めたり、釜戸を作ったり、味噌汁の具材を刻んだり手分けして進めた。釜戸作りは各班がそれぞれ工夫していたが、私の班では鉈で木の枝を切ってきてY字の枝を二本立てて、そこに枝を渡し作りあげた。

 こうして作った味噌汁をすすりながら持ってきたおにぎりを食べた。自分たちだけで作った味噌汁の味は兎も角として、みんなでワイワイ言いながらの昼飯は美味しかった。

 戦後70年の今日では、ご飯は電気釜、スイッチを押せばガスに点火できるのでマッチすら見かけなくなってしまったけれど、マッチ一本で新聞紙や乾いた杉の葉に火を点け、柴の小枝を燃やして薪に焚きつけるという当時の生活の基本を体験した。

 秋には農業実習で収穫した小豆や南瓜を大きな釜で煮て、自分の机と椅子を体育館に運び込み全校生徒で小豆汁(お汁こ)を食べながら収穫感謝祭を行った。当時は、中学を卒業すると”金の卵”として上京する子も多かった時代でしたから、こうした社会教育は、佐藤俊吉校長の教育方針だったのかも知れないとその頃を思い起こしている。

   皆瀬村の桁倉沼
   皆瀬村の桁倉沼

 私は折角釣り道具を担いで来たのに、あまり釣りを楽しむ時間がなくて心残りに思っていた。すると山の方から若畑の部落の人が下りて来て、山から流れ出てくる小さな小川を覗き込んでいた。それから近くに居た佐藤校長の所にやってきて、に「今年の春に沼さ、ワカサギ放しておえだ。」と話しているのを聞きつけ、小川に近づいて覗くと5センチ位の魚の群れて川上を向いて泳いでいた。私はそれまでワカサギなど見たことはなかったが、確かに普段釣り上げているニガペとは違っていた。

 それから何十年後かに帰郷した折に、「板戸沼さザッコ(雑魚)釣りにえってるが。」と甥に尋ねたことがあった。すると甥は「ワカサギがニガペの卵を食ってしまて、ニガペは釣れねぇぐなってしまったど。」と話してくれたのを覚えている。

 そして今年の春、高校時代の国語の教師だった泉谷先生が、私の書いた『冬季分校のあった里』というエッセイをお読みになって、送ってくれたお便りに真冬の「板戸沼」にワカサギ釣りに行ったことがあると書かれていた。

 嗚呼、あのなべっこ遠足で見たワカサギが増えて釣り人がやって来るほどまでになったのかと感慨深かった。

 私はもう古稀も過ぎ、長い年月の記憶の糸を手繰り寄せながら紡いだお話もこれでお終いでございます。

                             (おしまい)

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コメント: 1
  • #1

    れいこ (水曜日, 24 8月 2016 16:46)

    いつも、素敵な写真とご自分の写真がありますが、すべて現地に行って撮影なされているのですか?今でもこんな自然が残されているのでしょうか?
    自炊する遠足とか経験したことはないのですが木造の校舎、農業畑の体験、
    おこずかいさんの部屋、先生の宿直室には覚えがありますが、農業実習の収穫物も食べた覚えがないです。田舎で子供時代を過ごされた方は楽しそうですね。私の学級はお父さんが戦死した学生が多くてみんな必死に働いていたのを覚えています。関東軍というくらいだから、茨城、埼玉の男の人たちが多く犠牲になったのかしら?