わんこそば と 乳頭温泉ツアー  (2)

同袍寮の仲間との道中記  (16.9.17 ~ 9.18 )

 乳頭温泉の奥座敷たる「黒湯温泉」に辿り着くには、真っ暗な山道をしばらく走らねばならなかった。路肩の目印となるガードレールなど全くなかったので、時々ヒヤリとする場面もあった。後部座席の中川さんが、その度に声をかけてくれた。やはり、同じ47室の仲間同士であると思わされた。 

 やっと駐車場の灯りが見えて来た時はホッとした。ところが、宿の灯りはずっと下の谷底に見えた。薄暗くて石ころの多い下り坂を荷物を持って降るのは、少し厄介なことであった。

 「黒湯温泉」の受付についた時は、約束の6時半をとうに廻っていたようだ。

 受付で待ち受けてくれたご主人は、高橋さんと同じ横手高校の同期生であった。私にはとても懐かしい秋田弁で「これ部屋で飲んでけろ。」と言って棚からお酒を一本手渡してくれた。そこで、ご主人の高校の先輩で同袍寮の大先輩でもある柴田さんからの言伝をつたえると「大曲あたりで良く合うんだよね」と笑っていた。

 ところが、そのまま部屋に上がるのかと思ったら宿泊場所は別棟であった。

 これは翌朝に撮った写真である。この左手の建屋が宿舎だったが、昨夜暗がりに案内されたときは自炊棟だとは気がつかなかった。

 温泉に入るのを後に回し、とにかく部屋に荷物を置いて、夕食を食べに行った。部屋の入口近くには囲炉裏が切ってあり、埋き炭もあった。種火さえあれば、赤々と火がおきそうであった。鍵は南京錠という懐かしくも、長閑な世界である。

 堀口氏の撮影
 堀口氏の撮影

 これが今晩の馳走である。

私には子供の頃から馴染み深い山菜が多かったので、隣の中川さんに説明してあげたりした。

 お腹も空いていたし、美味しくいただきながら、あのお酒「まんさくの花」が随分とすすんだ。十分にお酒を堪能して、さらに美味しい秋田米のご飯もいただいた。

 それから部屋にもどり浴衣に着替えて、待望の露天風呂に出かけた。「黒湯温泉」ご自慢の混浴に入った仲間もいった。

 それから、郡司さんと私の部屋にみんながやって来て2次会が始まった。最初はお酒が多いから持ち帰る思案までしていたが、同袍寮の頃の話になると、それが止めどなく続き尽きることはなかった。同袍寮46室の頃の長谷川さんは、無口でおとなしい印象であったが、今晩は堂々と安保さんに意見を述べたのには驚いた。それもそうだ、社会にでて何十年と世間の荒波をくぐり貫けてきた訳だからと自分に言い聞かせた。そして話題の数だけ杯を重ね、ついには4本のお酒が終わるころにやっとお開きとなった。布団に入ってからも、しばらく郡司さんと話を続けた。

 今日は田沢湖畔を周遊する「田沢湖マラソン」があり、9時からコース近辺の交通規制が始まるというので、朝食は7時に食べて8時には出発することになった。

 夕べあんなに吞んだのに食欲満々で、二つのおひつが空になるほど、みんなお替りをして食べた。みんなで美味い朝飯を平らげ、そそくさと旅立ちの支度をした。

 出発前に宿屋のご主人と女将に入ってもらっての写真である。高校同期の高橋さんがいなかったのは残念であるが、堀口さん、長谷川さんと一緒に、先に駐車場に方に登って行ったようだ。私は写真を撮るのが得意だと言いながらシャッターを切ってくれた従業員ではいたが、間違って録画ボタンを押してしまった形跡が残されていた。

 堀口氏の撮影
 堀口氏の撮影

 出がけに郡司さんがコンビニで飲み物を買いたいと言っていたが、こんな山間部に果たしてコンビニはあるまいと思っていたら、大きな玉川ダムの畔に酒屋さんがあった。こんな山奥では、木葉のお札を持った狐か狸でもやってくるのかと冗談を言ったら、案の定酒屋さんは閉鎖されていた。幸い自販機は生きていたので、それぞれ飲み物を求めて休憩を取った。やはり昨夜は、みんながオーバーヒート気味であったらしく、冷たいものを美味そうにごくごく呑んでいた。

 車窓から眺めると、この玉川ダムには多くの支流が流れ込んでいた。

 今日の最初の目的地である玉川温泉に着いた。オートキャンプ場かと思われる方向と反対側の道を進むと、日帰り入浴ができる新玉川温泉に到着した。

 この玉川温泉は、以前に癌の治療に効くと聞いたことがある。私が癌かも知れないと友達に勧められたが、その時はチャンスがなかった。

 温泉好きの私は、早速入湯券を求めて入浴することにした。私と一緒に中川さん、郡司さん、安保さんは温泉に入ったが、他の仲間は不明だ。温めのお湯だが、何だかピリピリと皮膚に沁みるお湯だった。この温湯に湯治気分でゆったり浸かることが癌に効き目があるのであろうか・・・露天風呂にも入ったが、こちらは少し熱めの温泉であった。

 後生掛温泉に向かう途中で八幡平秋田スキー場入口の駐車場で休憩した。そこに八幡平地域の案内図があった。私は6月の同期会で案内してもらった八幡平で見た花々を思い出し、時間の余裕があったら八幡平に登ってみようと提案した。

 今朝は早く出発したので11時前には、後生掛温泉に到着できた。安保さんが予約しておいた昼食を早目に取りたいと頼んでくれた。

 お昼の用意が整うまで後生掛温泉の散策に出かけた。夏休みには中学生が案内してくれるんですよと安保さんが話していた。

 堀口氏の撮影
 堀口氏の撮影

 こうして後生河原温泉の散策をしている内に夕べのお酒も抜けて、お腹も空いてきた。

 心地よい散歩に時間の経過も忘れてしまい、昼食の時間11時半を回ってしまったようだ。

 安保さんが頼み込んで昼食の時間を早めてもらったのにと、急ぎ足でレストランに引き返した。

 堀口氏の撮影(きりたんぽ御膳)
 堀口氏の撮影(きりたんぽ御膳)

 安保さんが、予め手配してくれていた「きりたんぽご膳」である。

 この「きりたんぽ」が出来上がるのに時間がかかり、なめこ汁とキンピラ、沢庵でご飯を食べてしまった頃にやっと「きりたんぽ」が食べごろになってきた。私も自宅でよく「きりたんぽ鍋」を作っているが、秋田へきて食べられるとは幸せだ。

 28年6月の同期会時に撮影
 28年6月の同期会時に撮影

 八幡平アスピーテラインを秋田県側から登ってきて、とうとう岩手県との県境までやってきた。

 9月18日のお昼頃の雲行きはあまり良くなかったが、八幡平へ登ることに決まった。それそれ持参の雨具を持って登り始めたが、私の足取りだけが重かった。およそ17年も前になるが肺の左葉を切除しており、排気量はみなさんより少ないし、その上喫煙しているからだろうか、などと自問自答しながら、休み休み登り続けた。

 この坂道を登り切って展望台までは行ってみようと踏ん張った。

やっとたどり着いて、展望台から眺めると下は霧に覆われ、鋸状の裏岩手山を見ることはでなかった。三叉路の所に立つ案内版を見ると、八幡平山頂まで約5分とあった。それを見て、みんなは健脚揃いだから、周遊コースを進んだであろうと判断した。私は、6月18日に案内してもらった周遊コースを歩き始めた。それには春に見た草花たちは、どうなっているだろうかとの期待感もあった。後で考えると決して良い判断ではなかった・・・

 堀口氏の撮影(八幡平頂上)
 堀口氏の撮影(八幡平頂上)

 仲間たちが八幡平頂上に行って、散策しながら駐車場に戻った頃、私は周遊コースの終盤の上り坂でふうふういっていた。安保さんからラインメールが入ったが、その時は応える余裕がなかった。やっとの思いで登り切った頃に郡司さんから電話が入った。郡司さんが心配してくれたのに「今遭難しかけている」と冗談ぽく言ったのが悪かった。少し雨が降ってきたが、駐車場への下り坂で足元が良くなかったので傘もささずに歩いていると郡司さんが傘をもって迎えにきてくれた。郡司さんにもみんなにも迷惑をかけたと反省している・・・

 28年6月の同期会の時に撮影
 28年6月の同期会の時に撮影

 今度は、アスピーテラインを岩手県側に下り、渋民村を目指した。長い長い下り坂を結構なスピード走った・・・少し怖かった。

 途中、高速道路の入口で停車し、カーナビに逆らい一般道を行くことにした。こんどは高橋さんの車が先導しその後に続いたが、八幡平市街地から盛岡へ向かう道路まで、迷路のように進んだような気がした・・・ 

 渋民村に着いて「啄木記念館」を見学した。みなさんは、随分と熱心に見て回り思いのほか時間がかかったような気がする。3年前の同期会の時にここで「一握の砂」と「悲しき玩具」の復刻本を入手したので、こんどは「あこがれ」の復刻本が欲しかったのだが叶わなかった。

でも、「石川啄木の世界への誘い」と「復元 啄木新歌集」を買い求めた。それから啄木が代用教員をした小学校とその頃間借りしていた斉藤家を見学した。斉藤家の軒先には

 かにかくに渋民村は恋しかり

  おもひでの山 おもひでの川

が、啄木の表札のようにあった。

 最後に岩大の工学部へ行った。在学中は、殆どが木造校舎で辛うじて電気・機械がコンクリート校舎に立て替わった程度であった。その校舎も耐震補強を施されて、真新しい校舎の間に慎ましく建っていた。

 みんな望郷の想いで見て歩いたがその頃からの樹木だけは、太く大きく立派に育っていた。そして同袍寮跡地に建つ記念碑を探したが見つからなかったのは残念である。たぶん、私のガイドが悪かったのであろう。

 次の写真は、構内を歩きながら郡司さんが撮影してくれたものを掲載した。

 郡司氏の撮影(同袍寮から見えたNHK)
 郡司氏の撮影(同袍寮から見えたNHK)

 これで同袍寮の7人の仲間たちとの旅もお終いである。それぞれが十分に堪能でた道中であったと思う。

 岩大工学部の校門を出て右折して夕顔瀬橋を渡り、レンタカーの返却に向かったのだが、これが最後の難題であった。

カーナビにセットした道順に従って走っているはずなのであるが、それが思いもよらぬ方向へ舵取りしてくれるのだ。安保さんも終いには諦めてカーナビの通りに走った。随分と遠う周りしたような気もするが、返却場所に辿り着けてほっとした。レンタル料の清算を済ませ、駅まで送ってもらった。

 今回も安保さんには、ご苦労をお掛けしてしまった。近ごろ私も視力が落ち、運転には自信をなくしていたので、二日間も安保さん任せになってしまった。感謝しております。

 それから地元秋田の高橋さん、色々と事前の手配をいただきありがとうございました。私は、みなさんより一足先に6時15分の新幹線に乗った。

 安保さん、中川さん、堀口さん、郡司さんは、盛岡で打ち上げをやると言っていたし、長谷川さんは一関の親戚に立ち寄ると言っていた・・・

                            (おしまい)