わんこそば と 乳頭温泉ツアー  (1)

同袍寮の仲間との道中記  (16.9.17 ~ 9.18 )

 昭和50年代の初めころだったと思うが、同袍寮46室、47室の同窓の仲間で逢いたいと会社の後輩郡司さんから提案があり、上野の「魚市場」という居酒屋に集まったことがあった。

 その仲間たちが輪を広げ、今日まで続いてきたが、最近は欠席がちでした。

 郡司氏の撮影
 郡司氏の撮影

 ところが「盛岡でわんこそばを食べよう」という話が持ち上がったらしく、私に秋田の寅さんと北海道の川本さんを誘って欲しいとのメールが届いたのだ。寅さんは予定が入っているし、川本さんは、今年の豪雨の被害もあり、身動きがとれないという。それでも、誘ってくれて嬉しいとみんなを懐かしんでいた。

 そんなこともあり、今回は意を決して参加することにした。後は、安保さんの計画に従い、当日11時24分に盛岡に着き早速、啄木の歌碑に挨拶をした。

 早くに到着した郡司さんの撮影した開運橋界隈の写真が懐かしかったので、掲載させてもらった。

 その中に「開運橋の歴史」という看板の写真に興味を引かれた。とういうのもこれまでに、この案内版に出くわしたことがなかったし、ここに宮沢賢治の短歌が記されいるとは知らなかった。

 「早起きは三文の得」というが、早着した人には良いことがあるもんですね。

 堀口氏の撮影
 堀口氏の撮影

 盛岡駅で集合し、旅の主題でもある「盛岡のわんこそば」で腹ごしらえだ。高橋さんは大曲から車で駆けつけてくれた。

「わんこそば」のために朝食を控えた人もいた。同袍寮恒例の秋の薪入れの後、お腹を空かせて「わんこそば」を食べに来たことを懐かしく思い出した。その時は部屋番号と同じ46杯食べられたが、今日もマッチ棒で数えたら20杯程で満腹となった。自分の歳を考えて無理しないことにした。

 写真の「わんこそば」の証明書は、郡司さんの記録である。

 安保さんがレンタカーを借りて、中川さんと三人でスタートし、高橋さんの車とは「道の駅 雫石あねっこ」で合流した。この道の駅で「銀河鉄道の夜」というお酒を見つけ、今夜のために求めようとしたら、安保さんから、持参したお酒があるのでと止められた。それから車を連ねて「抱返り渓谷」に向かった。秋田県に向かう峠を越えて、角館方面を目指して走った。

 まず、第一の目的地である「抱返り渓谷」に到着した。ここは、昨年の44年同期会で10月中旬に訪れたところである。その時は、紅葉が始まり景色も華やいでいたが、9月中旬では紅葉には早かったようだ。

 仲間は私より若く、まだまだ元気そのものであるが、私にはついて行けなかった。

 そこで、私は昨年も来ているからと、先に行ってもらうことにして、辺りの景色を眺め写真を撮りながらゆっくりと進んだ。みんなが滝まで着いて、帰って来たら引き返すことにした。ここでは、そんな写真を見てもらうことにする。

 堀口氏の撮影
 堀口氏の撮影

 私は仲間が戻って来たら一緒に引き返そうと思いつつ、ついに「抱返りの滝」までやってきてしまった。その滝を見上げながら、しばし昨年の同期会でやって来た時のことを思い出していた。

 それから、昨年も感心して写真を撮った岸壁にしがみつくように根を張っている檜をみんなに紹介した。

 堀口氏の撮影
 堀口氏の撮影

 何故か看板には「回顧の滝」と書いてあった。先ほど「抱返りの滝」へ行く途中の路肩に幾つかの花束が置かれていたのを思い出した・・・何か事故でもあったのだろうか。

 また車に分乗して角館の「武家屋敷」へと向かった。ここは高橋さんの地元であり、彼は「もう、そんなに遠くない。」と言って先導してくれた。

 堀口氏の撮影
 堀口氏の撮影

 ここ角館の「武家屋敷」も昨年の同期会のコースだったので、私は苔の綺麗だった屋敷へ案内した。昨年は朝日が差し込み、その木洩れ日に苔がとても映えて美しかったが、今日は午後の曇り空でその風情を感じることはできなかった。それでも一面の緑の苔は、普段はコンクリートの地面ばかりを眺めている私の心を癒してくれた。

 高橋さんが、下級武士の屋敷跡は2軒程しか残されてい居ないと言って「たそがれ清兵衛」のロケ地へ案内してくれた。慎ましい茅葺の屋根で、いかにも「たそがれ清兵衛」の暮らしぶりが連想されるような屋敷であった。私は、藤沢周平原作、山田洋次監督のこの映画が好きで再放送を何度も観た。

 今度は高橋さんの案内で、公開されている「石黒家」を見学した。この石黒家は北佐竹公の納所役(会計担当)の家柄で、12代目当主が現在も生活を営まれているお屋敷であった。拝観料300円にて、お座敷と展示場となっている蔵を見学させてくれた。

 蔵の展示品の中で、子供の頃に雪国で使っていた藁細工の履物が懐かしかった。

 右の大きい方は、俵靴(たらぐづ)と言って降り積もった雪を踏み固めて、通り道を造るのに使った。朝ごはん前にやらされた。

 左の小さい方は、長靴(しべたら)代りに使われたが、冬場はとても暖かい履物である。ただ、霙雪のように湿った雪の中に長い間居ると内部に沁みてきて足が冷たくなってしまうのが難点であった。それを囲炉裏の火棚(ひだな)に上げて乾かしておくと、翌日はまた暖かいに履物になった。

 近頃では田舎へ帰っても、殆ど見かけることのできなくなった茅葺屋根の葺き替えの写真に興味を引かれた。昔は何十年かに一度行われる屋根の葺き替えを見ることがあった。

 その時は、部落の人が総出で手伝いに出るという相互扶助(ゆい)の習わしがあった。

 高橋さんは最後に「角館中学校校歌歌稿」碑に案内してくれた。曇り空で夕刻で、しかも林の中にあったので、その歌詞を読むことが難しかったが、碑にしては珍しく推敲の後が朱色で刻まれていた。

 後でネットで調べてみると三好達治作詞の生原稿を記念碑にしたものであった。

私は、三好達治の詩に苦い思い出がある。高校に入学して最初の国語の授業に「おみなごに花びら流れ・・・」という三好達治の詩が登場し、教師はいの一番に私を名指しで質問してきたのだ。何の予習もしてこなかった私は答えることができなかった。すると即「立っとれ。雄勝の秀才が何たることだ。」と怒鳴りつけられ、終礼まで立たされた。その先生のことは今でも忘れられない。

 田沢湖畔に着いた頃には6時を過ぎていた。今晩の宿からは、何度も安保さんに確認の電話が入るし、私が電話を代ろうとしたために急ブレーキを踏ませてしまったこともあった。

 おまけに小雨がぱらついてきたので、スマフォで撮った「竜子姫の像」である。

 旅はこれから佳境に入るのだが、写真をふんだんに取り込んだために、このブログが重くなってきたようだ。ここで前編の終了とさせていただく。

                          (後編につづく)