「なめとこ山の熊」読後感想(2)

淵沢小十郎の鉄砲

2.小十郎と黄色い犬

 私の父が狩に出掛ける出で立ちは小十郎と同じようであったが、冬場は“けら”の代わりに青獅子(かもしか)の毛皮を着て、毛皮のミトンを紐で結び首から掛け“雪べら”を持っていた。また、小十郎と同じような山鉈もいつもでも持っていた。この山鉈は、藪を進むときに邪魔になる小枝を切り払ったり、立ち入ったことの無い深い山奥に入るときに、楢やブナの幹に帰りの道標を刻んでおいたりするのだと聞いた。『なめとこ山の熊』には、小十郎が夏にこさえた笹小屋の話がでてくるが、吹雪いて帰れなくなったときには、この山鉈で木を切り倒し野営の小屋を作り、一晩中生木を燃して暖をとったという話も聞いたことがある。

  なめとこ山の大空滝
  なめとこ山の大空滝

 父は、梅干は魔除けになると言って、山に出かける時はいつも梅干の入ったおにぎりを風呂敷に包んで腰に縛り、それに加え、母が前の晩にこさえて置いた一にぎりの煎り豆をいれた袋を懐に入れていた。山が荒れて野営になってしまった時など、この煎り豆をポリポリ噛み、雪を食べて夜明けを待つのだと話していた。また、山へ出かける時の非常食やおやつとして、切り餅を藁で編んで寒い軒先に晒しておいた干し餅もある。果たして小十郎は、どんな食べ物を持って山に出かけたのであろうか。裏の少しの畑でひえが採れるくらいで、お米もお味噌も熊の毛皮を売ったお金で買い求めていたのだから大した弁当は持てなかったのではないだろうか。

ハッピーは秋田犬と土佐犬が親の猟犬
ハッピーは秋田犬と土佐犬が親の猟犬

  小十郎には黄いろい犬がいたが、我が家にも犬がいた。父が岩木山の山麓で硫黄の原石を採掘していたのは朝鮮戦争の頃で私はまだ小学校の低学年だったと思うが、津軽から送られて来た子犬だった。猟犬にしようと秋田犬と土佐犬を親に持つキツネ色の大型犬だった。そして兄が小さい頃から猟犬としての訓練を続け、両足で立ち上がると中学生の背丈ほどに成長した。わざとよその児の頭をなでたりするとひどく怒ったり、上級生が私をいじめたりするのを見かけると飛びかかったりもした。

 ハッピーと名付けられたこの犬はとても利口だった。狩に出ると雉を探し当てしっぽの毛を逆立てて、木の枝に留まった雉を下から睨みつけるのだ。すると雉が狐に睨まれたかのように飛び立てないようにしてしまうのだ。また、手負いの雉が木の根本の雪穴や小さな沢の雪渓に潜り込むと、そこに潜って雉をくわえて来てくれた。

 また、撃ち落した鴨が川の中に落ちるとザブンと川に飛び込み、泳いで行って鴨をくわえて来た。川岸に上がると獲物を前に置き、小十郎の犬のように体をぶるぶるっと震わせ毛を立てて水を振るい落し、自慢げに鼻をひくひくさせながら褒めてもらうのを待っていた。ある時、鴨を追って雪解けの濁流に飛び込んだことがあったが、川の流れが速く、やっと鴨をくわえた時にはだいぶ川下へ流されてしまっていた。流されながら川の向こう岸によじ登った時には力尽きて動けなくなってしまった。父は大声で対岸に居た人に呼びかけ、再び濁流に飛び込まないように付き添ってもらい、そこから二キロも下流の橋を渡って迎えに行ったこともある。こんな出来ごとをいろいろ思い出すと小十郎と犬との信頼関係が良く判るような気がする。

                             (続く)