海野雅威&吉田豊 at SPACE1497 11.19

 11月19日、デビュー当時にベースのChinさんとデュオを組んでいたという海野雅威(うんの ただたか)氏が、来るというのでSPACE1497に出かけた。彼はNYで活躍中のピアニストということで、満席状態であった。息子が友だちを誘っていたので、席があるかどうか心配したが、オーナーが最前列にテーブルを確保しておいてくれたので、ほっとした。

 今日は、本場NYのジャズを聴こうと熊谷近郊の多くのプレイヤーや、わざわざ横浜からやって来た人など、比較的若い顔ぶれが多かった。

 今回が初めてのことであるが、演奏前にオーナーから写真撮影と録音はご遠慮くださいとの案内があった。

 海野雅威氏
 海野雅威氏

 海野氏が登場し、一礼すると無言でピアノに向かった。最初は音合わせかなと思っていたら、次第にピアノの響きが大きく激しくなってきた。すると暫く黙って聴いていた吉田氏が、「うん」と頷きながら、ベースを弾き出したのである。

 二人とも目を合わせることもなく、阿吽の呼吸でライブが始まった。1曲目は「枯れ葉」だった。私の「枯れ葉」のイメージは、その昔スクリーンいっぱいに長い手足を広げて、情感豊かに歌い上げるイブ・モンタンの哀歓のこもったシャンソンなのだが、今聴いている「枯れ葉」は違った。軽やかにステップでも踏みたくなるようなテンポと滑らかな旋律は、澄み切った秋空に枯れ葉が舞い散る小径を散歩しているような気分にさせてくれた。ジャズアレンジの妙なのでしょうか。

 吉田豊氏と海野雅威氏
 吉田豊氏と海野雅威氏

 2曲終わって海野さんがマイクを持った。ここSPACE1497は、12年まえにChinさんに連れて来てもらった懐かしい場所だと話しだした。そして2012年に亡くなられた先代のオーナーを偲んでいた。それから高校の教員を止めて、再びプロに転向した吉田豊さんと2002年にデュオを組むようになったが、さらにジャズのルーツや文化に触れる為、2008年にニューヨークに移住したと話した。

 その時、沢山の方からいろんな励ましの言葉をいただいたが、吉田さんだけは「とにかく元気でいろよな。」と言ってくれたことが印象に残っている。そして信頼できる友達だと思い、年に一度の帰国の度に、豊さんとデュオを組んでいると語った。

 海野雅威氏のピアノ演奏
 海野雅威氏のピアノ演奏

 第2ステージが始まると、渡米した頃の話をしてくれた。NYでは住むところもなく、お金もなくなり途方にくれたが、ジャズの先輩方に助けてもらったそうだ。それでもNYで有名なジャズ・プレイヤーのライブを聴き廻り、次第にジャズマン達とコンタクトが取れるようになり受入れてもらえるようになったそうだ。色んな人種の人がいるが、お互いを受入れ認め合い、そして自分の想いを楽器を使って自由に主張できるというジャズの世界は、「民主主義の原点」であると思ったと熱っぽく語った。ジャズは、人種差別に耐えながらも楽器で自己主張を続けながら発展して来たと、ジャズの歴史を語るときのChinさんの真顔を思い出した。

 その後次第に活躍の場を広げて、2013年8月には「Village Vanguard」でJimmy Cobbトリオのピアニストとして出演し、その一週間公演でオーナーであるLorraine Gordon(91歳のおばあさん)にも認められ、耳の肥えた地元ジャズファンを唸らせ本場ミュージシャンの仲間入りを果たしたそうだ。

 「What’s New」のTVコマーシャルでお馴染みのHank Jonesと親交のお話は興味を引いた。

 私も「東京JAZZ2008」で晩年のHank Jonesのピアノを聴いたことがあるからでしょうか。

 彼の家に招かれ二人で5時間もセッションを続けたが、彼はまだピアノの練習を止めようとしなかったそうだ。そして2010年5月16日、世界中の人々に愛され、最後まで音楽への情熱を燃やし続けたHank Jonesが91年間の人生に幕を閉じる時、病室にキーボードを持ち込み彼の手を握りながら、その最期に立ち会ったという話は感動的であった。

 吉田豊氏のベース演奏
 吉田豊氏のベース演奏

 吉田豊のHPによると、17歳の時、ベニーグリーン、オスカーピーターソンのレコードを買い、衝撃を受け、ジャズに開眼。'94年筑波大学入学後、 ウッドベースを弾き始める。ジャズを金澤英明氏、クラッシック奏法を太田宏氏に師事。'97年、横島和裕(KAZU)トリオに加入しプロデビュー。'98年大学卒業後活動を本格化し、 '99年春に、TOKUグループ、井手直行カルテットに参加する。その後、一旦就職、北海道高校教諭の経験を経て、'02年、再びシーンに復帰。 現在、海野雅威トリオ、植松孝夫グループ、紅野智彦トリオ、西尾健一グループ、小川高生・沢田一範クインテット、石崎忍トリオ等で活躍している。レイブラウン、イスラエルクロスビー、 ポールチェンバース、アーマドジャマル、 デュークエリントンを敬愛し、 彼等の影響を色濃く残しながら、新世代の感覚、日本人としての音楽性を混合したサウンドを追求している。 とあったのでその一部を転載させていただいた。

 「ジャズは音で会話する音楽だ。」と言っていた海野さんは、吉田さんとの演奏中に一度も目を合わせてタイミングを計るようよなことはしなかった。お互いの主張を認め合い、互いに信頼し合う二人の演奏スタイルなのであろう。

 この二人のアルバム「DANRO(暖炉)」にサインしてもらった。

 その時、息子はChinさんと海野さん、それにドラムスのセシル・モンローさんとのトリオのアルバム「For You」を持参していた。Chinさんのサインをもらった時「セシルが生きていればなあ。」と言っていたのを思い出しながら、海野さんにサインをお願いした。海野さんは懐かしそうにアルバムを手に取り、しばらく眺めてからサインしてくれた。Chinさんの先代オーナーの追悼ライブのことを話すと「Chinさんに宜しく伝えてくれ。」と言った。それから「トランプさんもジャズが好きだといいですね。」と話しかけると、海野さんは「私はオバマさんが大統領になった年にアメリカに渡った。」とだけ応えた・・・

 ライブが終わると、サインを求める長い列ができていた。独り占めは出来ないので、写真を一枚だけ撮らせてもらった。

 帰りの車で、息子はChinさんにメールしようと、言っていた。

左:吉田豊、小南、右:海野雅威
左:吉田豊、小南、右:海野雅威

 今回の海野さんの演奏は、興に乗ってくると神がかった何かが彼にとりついて、無心の内に指が鍵盤を駆け巡っているように思えてならない。

 それほどまでに、海野さんがジャズの世界に引きずり込まれて演奏しているように感じた。

 今日も帰りがけにオーナーに「今日は沢山のお客さんに聴いてもらってよかったね。今度から小さなアンケート用紙を作り、お客さんにメールアドレスを書いてもらい、ライブのご案内ができたらいいね。今回は小山のライブ会場まで海野さんを迎えに行った甲斐がありましたね。」と声をかけた。すると「野力さんの時も迎えに行けばよかったね。」とジョークを返してくれた・・・

 

 今、そのアルバム「For You」を聴きながら、心地よい気分で、このブログを書いているが、当時は今回の演奏より優しいタッチのピアノの響きが、聴こえて来るように思えてならない。