第10回 賢治と歩む会 17.1.14

どんぐりと山猫 読後感想会

ちょっと横道の話 かねた一郎の名前(鈴木守氏情報の追加)

 孫が拾った”どんぐり” と こけし
 孫が拾った”どんぐり” と こけし

 1月14日に「第10回 賢治と歩む会」が開催された。会長の瀧田さんから、記念すべき第10回の会まで開催できたことを祝福しようとのご挨拶があった。

 私は第2回の会から休まず参加できたことを思い出していたが、これまで毎回会のテーマを墨汁で書いて、白板に貼りだしてくれる龍前先生の姿が見えないのが気になった。

 今日は、劇団シナトラの原田竹子さんが、「どんぐりと山猫」を紙芝居で見せてくれることになっていた。以前、瀧田さんと一緒に「虔十公園林」の紙芝居をやってくれたことがあった。原田さんは、劇団シナトラの今年の定期公演では「ぬけがら」の演出をやっていた。

 原田さんは、「賢治と歩む会」のために紙芝居の子供向けのナレーションとは別に賢治の「どんぐりと山猫」の原文を台本として用意してくれていた。

 そして賢治の書いた原文を使った原田さんのナレーションで「どんぐりと山猫」の紙芝居が、始まった。

 おかしなはがきが、ある土曜日の夕がた、一郎のうちにきました。

かねた一郎さま 九月十九日

あなたは、ごきげんよろしいほで、けっこです。あした、めんどなさいばんしますから、おいでんなさい。とびどぐもたないでくなさい。            山ねこ 拝

 この一枚の「はがき」から「どんぐりと山猫」の物語は始まる。ここでは、紙芝居の楽しい絵を見ながら物語を辿ってみる。途中、原文の省略あり。

 すきとおった風がざあっと吹くと、栗の木はばらばらと実をおとしました。一郎は栗の木をみあげて、

「栗の木、栗の木、やまねこがここを通らなかったかい。」とききました。栗の木はちょっとしずかになって、

「やまねこなら、けさはやく、馬車でひがしの方へ飛んで行きましたよ。」と答えました。

「東ならぼくのいく方だねえ、おかしいな、とにかくもっといってみよう。栗の木ありがとう。」栗の木はだまってまた実をばらばらとおとしました。 

 一郎は滝に向いて叫びました。

「おいおい、笛ふき、やまねこがここを通らなかったかい。」

 滝がぴーぴー答えました。

「やまねこは、さっき、馬車で西の方へ飛んで行きましたよ。」

「おかしいな、西ならぼくのうちの方だ。けれども、まあも少し行ってみよう。ふえふき、ありがとう。」

 滝はまたもとのように笛を吹きつづけました。

 一郎はからだをかがめて、

「おい、きのこ、やまねこが、ここを通らなかったかい。」とききました。するときのこは「やまねこなら、けさはやく、馬車で南の方へ飛んで行きましたよ。」とこたえました。一郎は首をひねりました。

「みなみならあっちの山のなかだ。おかしいな。まあもすこし行ってみよう。きのこ、ありがとう。」

 きのこはみんないそがしそうに、どってこどってこと、あのへんな楽隊をつづけました。

 一本のくるみの木の梢を、栗鼠がぴょんととんでいました。一郎はすぐ手まねぎしてそれをとめて、「おい、りす、やまねこがここを通らなかったかい。」とたずねました。するとりすは、木の上から、額に手をかざして、一郎を見ながらこたえました。

「やまねこなら、けさまだくらいうちに馬車でみなみの方へ飛んで行きましたよ。」

「みなみへ行ったなんて、二とこでそんなことを言うのはおかしいなあ。けれどもまあもすこし行ってみよう。りす、ありがとう。」りすはもう居ませんでした。

 一郎がすこし行きましたら、谷川にそったみちは、もう細くなって消えてしまいました。そして谷川の南の、まっ黒な榧の木の森の方へ、あたらしいちいさなみちがついていました。一郎はそのみちをのぼって行きました。榧の枝はまっくろに重なりあって、青ぞらは一きれも見えず、みちは大へん急な坂になりました。一郎が顔をまっかにして、汗をぽとぽとおとしながら、その坂をのぼりますと、にわかにぱっと明るくなって、眼がちくっとしました。

その草地のまん中に、せいの低いおかしな形の男が、膝を曲げて手に革鞭をもって、だまってこっちをみていたのです。

 一郎はだんだんそばへ行って、びっくりして立ちどまってしまいました。その男は、片眼で、見えない方の眼は、白くびくびくうごき、上着のような半纒(はんてん)のようなへんなものを着て、だいいち足が、ひどくまがって山羊のよう、ことにそのあしさきときたら、ごはんをもるへらのかたちだったのです。一郎は気味が悪かったのですが、なるべく落ちついてたずねました。

 「あなたは山猫をしりませんか。」するとその男は、横眼で一郎の顔を見て、口をまげてにやっとわらって言いました。「山ねこさまはいますぐに、ここに戻ってお出やるよ。おまえは一郎さんだな。」 一郎はぎょっとして、一あしうしろにさがって、「え、ぼく一郎です。けれども、どうしてそれを知ってますか。」と言いました。するとその奇体な男はいよいよにやにやしてしまいました。「そんだら、はがき見だべ。」「見ました。それで来たんです。」「あのぶんしょうは、ずいぶん下手だべ。」と男は下をむいてかなしそうに言いました。

 一郎はきのどくになって、「さあ、なかなか、ぶんしょうがうまいようでしたよ。」と言いますと、男はよろこんで、息をはあはあして、耳のあたりまでまっ赤になり、きもののえりをひろげて、風をからだに入れながら、「あの字もなかなかうまいか。」とききました。一郎は、おもわず笑いだしながら、へんじしました。「うまいですね。五年生だってあのくらいには書けないでしょう。」 すると男は、急にまたいやな顔をしました。「五年生っていうのは、尋常五年生だべ。」その声が、あんまり力なくあわれに聞えましたので、一郎はあわてて言いました。「いいえ、大学校の五年生ですよ。」 すると、男はまたよろこんで、まるで、顔じゅう口のようにして、にたにたにたにた笑って叫びました。「あのはがきはわしが書いたのだよ。」 一郎はおかしいのをこらえて、「ぜんたいあなたはなにですか。」とたずねますと、男は急にまじめになって、「わしは山ねこさまの馬車別当だよ。」と言いました。

 そのとき、風がどうと吹いてきて、草はいちめん波だち、別当は、急にていねいなおじぎをしました。

 一郎はおかしいとおもって、ふりかえって見ますと、そこに山猫が、黄いろな陣羽織のようなものを着て、緑いろの眼をまん円にして立っていました。やっぱり山猫の耳は、立って(たって)尖っているなと、一郎がおもいましたら、山ねこはぴょこっとおじぎをしました。一郎もていねいに挨拶しました。

「いや、こんにちは、きのうははがきをありがとう。」

 山猫はひげをぴんとひっぱって、腹をつき出して言いました。

「こんにちは、よくいらっしゃいました。じつはおとといから、めんどうなあらそいがおこって、ちょっと裁判にこまりましたので、あなたのお考えを、うかがいたいとおもいましたのです。まあ、ゆっくり、おやすみください。じき、どんぐりどもがまいりましょう。どうもまい年、この裁判でくるしみます。」山ねこは、ふところから、巻煙草の箱を出して、じぶんが一本くわえ、「いかがですか。」と一郎に出しました。一郎はびっくりして、

「いいえ。」と言いましたら、山ねこはおおようにわらって、

「ふふん、まだお若いから、」と言いながら、マッチをしゅっと擦って、わざと顔をしかめて、青いけむりをふうと吐きました。山ねこの馬車別当は、気を付けの姿勢で、しゃんと立っていましたが、いかにも、たばこのほしいのをむりにこらえているらしく、なみだをぼろぼろこぼしました。 

 そのとき、一郎は、足もとでパチパチ塩のはぜるような、音をききました。びっくりして屈んで見ますと、草のなかに、あっちにもこっちにも、黄金いろの円いものが、ぴかぴかひかっているのでした。よくみると、みんなそれは赤いずぼんをはいたどんぐりで、もうその数ときたら、三百でも利かないようでした。わあわあわあわあ、みんななにか云っているのです。

 「あ、来たな。蟻のようにやってくる。おい、さあ、早くベルを鳴らせ。今日はそこが日当りがいいから、そこのとこの草を刈れ。」やまねこは巻たばこを投げすてて、大いそぎで馬車別当にいいつけました。馬車別当もたいへんあわてて、腰から大きな鎌をとりだして、ざっくざっくと、やまねこの前のとこの草を刈りました。そこへ四方の草のなかから、どんぐりどもが、ぎらぎらひかって、飛び出して、わあわあわあわあ言いました。

 空が青くすみわたり、どんぐりはぴかぴかしてじつにきれいでした。

「裁判ももう今日で三日目だぞ、いい加減になかなおりをしたらどうだ。」山ねこが、すこし心配そうに、それでもむりに威張って言いますと、どんぐりどもは口々に叫びました。「いえいえ、だめです、なんといったって頭のとがってるのがいちばんえらいんです。そしてわたしがいちばんとがっています。」

「いいえ、ちがいます。まるいのがえらいのです。いちばんまるいのはわたしです。」

「大きなことだよ。大きなのがいちばんえらいんだよ。わたしがいちばん大きいからわたしがえらいんだよ。」

「そうでないよ。わたしのほうがよほど大きいと、きのうも判事さんがおっしゃったじゃないか。」

「だめだい、そんなこと。せいの高いのだよ。せいの高いことなんだよ。」

「押しっこのえらいひとだよ。押しっこをしてきめるんだよ。」もうみんな、がやがやがやがや言って、なにがなんだか、まるで蜂の巣をつっついたようで、わけがわからなくなりました。 

 そこでやまねこが叫びました。「やかましい。ここをなんとこころえる。しずまれ、しずまれ。」 別当がむちをひゅうぱちっとならしましたのでどんぐりどもは、やっとしずまりました。やまねこは、ぴんとひげをひねって言いました。「裁判ももうきょうで三日目だぞ。いい加減に仲なおりしたらどうだ。」 すると、もうどんぐりどもが、くちぐちに云いました。「いえいえ、だめです。なんといったって、頭のとがっているのがいちばんえらいのです。」「いいえ、ちがいます。まるいのがえらいのです。」「そうでないよ。大きなことだよ。」がやがやがやがや、もうなにがなんだかわからなくなりました。山猫が叫びました。

 「だまれ、やかましい。ここをなんと心得る。しずまれしずまれ。」

「このとおりです。どうしたらいいでしょう。」一郎はわらってこたえました。

「そんなら、こう言いわたしたらいいでしょう。このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらいとね。ぼくお説教できいたんです。」

 山猫はなるほどというふうにうなずいて、それからいかにも気取って、繻子のきものの胸(えり)を開いて、黄いろの陣羽織をちょっと出してどんぐりどもに申しわたしました。

「よろしい。しずかにしろ。申しわたしだ。このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ。」

 どんぐりは、しいんとしてしまいました。それはそれはしいんとして、堅まってしまいました。

「どうもありがとうございました。これほどのひどい裁判を、まるで一分半でかたづけてくださいました。どうかこれからわたしの裁判所の、名誉判事になってください。これからも、葉書が行ったら、どうか来てくださいませんか。そのたびにお礼はいたします。」

「承知しました。お礼なんかいりませんよ。」「いいえ、お礼はどうかとってください。わたしのじんかくにかかわりますから。そしてこれからは、葉書にかねた一郎どのと書いて、こちらを裁判所としますが、ようございますか。」

 一郎が「ええ、かまいません。」と申しますと、やまねこはまだなにか言いたそうに、しばらくひげをひねって、眼をぱちぱちさせていましたが、とうとう決心したらしく言い出しました。

「それから、はがきの文句ですが、これからは、用事これありに付き、明日出頭すべしと書いてどうでしょう。」

 一郎はわらって言いました。

「さあ、なんだか変ですね。そいつだけはやめた方がいいでしょう。」

「それでは、文句はいままでのとおりにしましょう。そこで今日のお礼ですが、あなたは黄金のどんぐり一(いち)升と、塩鮭のあたまと、どっちをおすきですか。」

「黄金のどんぐりがすきです。」

 山猫は、鮭の頭でなくて、まあよかったというように、口早に馬車別当に云いました。

「どんぐりを一升早くもってこい。一升にたりなかったら、めっきのどんぐりもまぜてこい。はやく。」

 別当は、さっきのどんぐりをますに入れて、はかって叫びました。

「ちょうど一升あります。」

 山ねこの陣羽織が風にばたばた鳴りました。そこで山ねこは、大きく延びあがって、めをつぶって、半分あくびをしながら言いました。

「よし、はやく馬車のしたくをしろ。」白い大きなきのこでこしらえた馬車が、ひっぱりだされました。そしてなんだかねずみいろの、おかしな形の馬がついています。

「さあ、おうちへお送りいたしましょう。」山猫が言いました。二人は馬車にのり別当は、どんぐりのますを馬車のなかに入れました。 ひゅう、ぱちっ。 馬車は草地をはなれました。木や藪がけむりのようにぐらぐらゆれました。一郎は黄金のどんぐりを見、やまねこはとぼけたかおつきで、遠くをみていました。

 馬車が進むにしたがって、どんぐりはだんだん光がうすくなって、まもなく馬車がとまったときは、あたりまえの茶いろのどんぐりに変っていました。そして、山ねこの黄いろな陣羽織も、別当も、きのこの馬車も、一度に見えなくなって、一郎はじぶんのうちの前に、どんぐりを入れたますを持って立っていました。

 それからあと、山ねこ拝というはがきは、もうきませんでした。やっぱり、出頭すべしと書いてもいいと言えばよかったと、一郎はときどき思うのです。

 参加された皆さんは、子供のようにまんじりともせず賢治童話「どんぐりと山猫」の紙芝居に見入った。そして紙芝居の幕が締まるとふーと息を吐き、拍手をしながら隣の人と顔を見合わせていた。

 私は、この写真を撮るために殆ど立ちっぱなして観賞していた。

 紙芝居を終えた原田さんは「賢治作品の鑑賞会なので、原文のまま読み進めたたが、紙芝居の臨場感や勢いが出て来ないので、途中から背景描写のト書きの部分を省略してしまいました。」と語った。

 紙芝居を読み進めながら聴衆との距離感を察知し、物語の場面展開の勢いとか、間の取り方とかを考えるとは、流石に劇団シナトラで女優をなさっている方だなあと感心した。

 今回初めて蓮田市から参加された方は、「どんぐりと山猫」の紙芝居を観られるとは思わなかったと感激していた。それぞれの方が感想を発表した後、萩原先生から次のような観点での解説があった。

1)山猫の正体は

 賢治作品には「注文の多い料理店」「猫の事務所」など猫が登場する童話があるが、この物語の山猫の正体は不明だ。

ただ、自然界との共存を保つ「精霊」もしくは「土地神」と考えられる。

2)どんぐりへの判決

 一郎は「お説教で聞いたんです」と言っているが、賢治は「禅問答」からヒントを得ているようだ。山猫の判決を注意深く読んでみると「このなかで、いちばんえらくなくて、ばかで、めちゃくちゃで、てんでなっていなくて、あたまのつぶれたようなやつが、いちばんえらいのだ。」と矛盾した判決を下していると解説してくれた。

3)作品の舞台

 「笛吹の滝」を実際に見たことがある。まっ白な岩の崖のなかほどに、ポットホールのように小さな穴があいていて、そこから水が笛のように鳴って飛び出したのであろう。また、早池峰山の近くの「鳶の峠?」から「猫山」を眺めたことがあると当時を振り返った。更に、良く晴れた秋の日に雑木林を抜けて牧草地か萱畑に出たところで、秋の斜光を浴びてどんぐりたちが黄金に輝いているのに遭遇したことがあると誇らしげに話してくれた。 

 おそらく賢治も黄金に輝くどんぐりを見たことがあるに違いない。

 一郎は山猫からの葉書をカバンに仕舞ってしまい、学校の友達に見せることはしなかった。そして一人で山に出かけて行く姿は、少年時代に友達の少なかった賢治を思わせる。

 山に分け入って行くと栗の木、笛吹の滝、キノコ、りすに山猫の所在を尋ねる。まるで賢治の「心象スケッチ」に映し出されるかのように、ごく自然に幻想の世界に溶け込んで行く。「すきとおった風がざっと吹いて」一郎を幻想の世界に誘い込み、「木や藪がけむりのようにぐらぐらゆれて」一郎が現実の世界に連れ戻されると言った具合に、賢治のオノマトベは実に巧みに使われている。やはり一郎は賢治自身の幻想体験を体現しているのかも知れない。そして一郎は山猫に「どんぐり裁判」の判決を助言して結審する。この作品は大正13年に発刊された「注文の多い料理店」に収められた賢治の「法華経文学」の作品ということだが、その寓意は直球の如く、他の賢治童話に比べて球筋が読み易いのは初期の作品だからであろうか。

 私が入社した時、同期生3人が同じ情報処理部門に配属された。若い頃は、この物語のどんぐりのように、自分の方が仕事ができると互いに競い合い、相手の成果を嫉んだりもした。しかし、次第にそれぞれが得意分野を任されるようになり、やっと互いを認め合い相手を尊重し合うことができるようになった。この作品を読むと誰しも「雨ニモマケズ」のデクノボーや「虔十公園林」の虔十を思い浮かべると思うが、私はスマップの「世界に一つだけの花」が頭に浮かんだ。あの歌の歌詞のように自分の個性に誇りを持ち、自分だけの花を咲かせればいいんだよと、百年も前に賢治が教えてくれていたように思う。 

「倭は国の真委ば 自然とともに生きたいものです」と萩原先生のメッセージを頂いた。

 今回は「賢治と歩む会」の新年会が予定されていたが、風花が舞ってきたり生憎の空模様だったので中止となった。それでも萩原先生、瀧田さん、遠田さんと私の4人は、いつもの処で反省会をやった。瀧田さんの電話に応えて栗山さんが龍前先生を誘って参加してくれた。その栗山さんが、今日話題となった猫山の写真を大きく引き伸ばして持参してくれた。萩原先生は、大いに感激して、猫山を観に行った時の話で盛り上がった。

 いつも好奇心の旺盛な遠田さんが「先生、どうして猫山と呼ばれているのでしょう。」と質問したら、そこまでは調べていないと応えられた。私は「困った時は鈴木さん」とばかり、その晩花巻の鈴木守さんにメールした・・・

 すると、その日の午後には現地に出かけて調査してくれた。感謝です。

鈴木 守 様

 先日の『賢治と歩む会』では、『どんぐりと山猫』がテーマでした。萩原先生が『猫山』を眺めに行った時の話をしておりましたが、『猫山』⇒『山猫』の想定もあるが、『猫山』の名前の由来までは調べていないと言うことでした。鈴木さん、『猫山』と呼ばれるようになったのは、どうしてでしょうかね・・・

などと、今年もいろいろと教えてください。

                               小南より 

小南  毅 様

 本日午後、『早池峰と賢治の展示館』を訪ねて、館長の浅沼利一郎さんに「猫山」(№1)の名の由来をお訊ねしました。

 浅沼さんのお話によれば、『この「猫山」の「猫」とは、かつてこの辺りに勢力があった「猫族(猫氏、根子氏)」の「猫」である。

猫族(猫氏)は金鉱の開発や砂金の採取に関わっていた一族だった。』ということでした。因みに、添付ファイル(№2~4)をご覧になっていただければお分かりのように、大迫一帯は金山が沢山分布しており、その中のリストに

    「猫底金山」とか「猫山金山」(№3)

という名称がありますから、これらが「猫族(猫氏)」が経営した金山だったということになるのでしょうか。よって、「猫山」とは「猫氏」所有の(金)山であったという蓋然性が高いということになりそうです。     鈴木 守

ちょっと横道の話 かねた一郎の名前(鈴木守氏情報の追加)

<鈴木守氏からのメール>

 

 少し横道にそれたお話を致します。

 賢治は大正3年に盛岡中学を卒業した訳ですが、その時の卒業生の中に金田一他人という人物がおります。その姓からお察しのように金田一京助の弟です。この「他人君」については我妻栄が、次のようなことなどを述べています。

 第一高等学校の一部丙類(ドイツ語クラス)に入学したときに、同級生40人の中に京助さんの令弟「他人君」がいた。同じ東北人であることなどが理由になって、親しい間柄になった。…(略)…「金田一」とは奇妙な姓だと思った。その上、「他人(おさと)」という名も珍しかった。誰も正確に読む者はなかった。…(略)…

 その他人君が、大学に入ってから、病気で一年遅れて、民法は穂積重遠先生の受持ちとなり、鳩山秀夫先生の民法の講義を聴いていたわれわれと、しょっちゅう議論をし、その結果をもって穂積先生に質問して、穂積先生にも注目される学生となった。

 <『金田一京助先生の思い出の記』(金田一京助博士記念会、三省堂)より>

ということです。

 そこで私は、もしかすると「かねた一郎とは 金田一他人」を意識した名前ではないかと思っております。

 共に同級生だった金田一他人も花巻出身の「蝦蟇仙こと阿部孝」も東大に進んだのですが、賢治は進学も儘ならず家業の質屋を継がなければないと周りから思われていたでしょうから、賢治の心の内は屈折していたと思います。しかも他人は、兄弟中の大秀才であり、一高に進んでからも我妻栄、岸信介と並んで鳩山門下の三羽烏と謳われたというのですが、同じく我妻によれば、

 他人君が、大学の二年生のときに、寄寓していた家の許嫁のお嬢さんとの間に破綻を生じて不幸に見舞われた。そこで、もっとも親しかった友人四人(そのうちの一人が後の岸信介総理)が共同して、他人君の遺して和歌を集め、「身も魂も」と題する一書を作った。

    <前掲書より>

ということで自殺してしまったというからです。

 ちょっと妄想しすぎましたね。            鈴木 守より

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コメント: 1
  • #1

    コスモス (水曜日, 28 8月 2019 19:36)

    どんぐりとヤマネコは今読んでも面白いですね。中学3年の国語の教科書で読みましたが、足の先の丸い御者の馬車別当の登場にはびっくりしたのを覚えています。それにしても、この長い文章をタイピングする力に驚き。
    金田一他人さんのお話は信じられない、だって岸信介さんは最近の人、おかしいな―。猫族のお話は面白かったです。