ブログ「よだかの星」へのコメント

萩原先生からのお便り (17.01.27)

 1月14日の「第10回 賢治と歩む会」のテーマ「どんぐりと山猫」で「猫山」との関りが話題になったが、萩原先生も地元での調査は行っていないとのことであった。

 そこで花巻の鈴木さんにメールを送ったら、早速その関連資料を送ってくれた。

鈴木さんからの資料と「賢治と歩む会」の私のブログをプリントして同封した。その中の「よだかの星」のブログで、私はまだ「修羅」について良く理解できていないと呟いた・・・

 すると、萩原先生がわざわざお手紙で「修羅」に関して解説してくださったので、先生のご了解を得てブログに掲載させていただいた。

拝復、ご丁重なブログ資料有り難うございました。その都度こうして内容を記録しておくのは、私にとって驚きであり、大切な反省資料です。私はパソコンとは、十文字女子大退職以来、縁を切ってしまったので、今は全てアナログ生活です。

 小南さんが、東北出身であることと同世代であることに、大変助かっていとます。

感謝しています。

 さて、「夜だかの星」の「夜だか」について、「修羅」の定義の意図について、多少補足してみます。

 執筆時期については、在京時、家出中の間執筆されたとする推定については賛成です。

ただ、直接証拠がありませんので断言できませんが、少なくとも、原「夜だかの星」は成立していたと思います。それも関西旅行の後間もなくと思われます。というのは興福寺の修羅像が「夜だか」に象徴されているからです。

 私は結構仏像を見ていますが、独立した修羅の仏像を拝観したことは一度もなく、さまざまな展示品にも見当たらなくて、あるとすれば仏画の六道絵仏でしょうか。もっとも日本の修羅のイメージは、つねに帝釈天と闘うもので、どうやら中國仏教の完全な転移と思われます。唯一の例外が興福寺の修羅像です。これは『仏-菩薩-天・・・(修羅)-人』という系譜の上に成り立ったもので、法華経にも釈迦の説法に参会しています。察するに一口に修羅と言っても、さまざまな修羅が存在し興福寺のそれは上善に属するもので、明らかに天部に属する上部の修羅が、興福寺に安置されて考えてよいと思っております。

 一方、同じ法華経に「海座辺在処」、つまり修羅の住処は海底にあるとも記されており、一体どちらが本当の修羅なのか戸惑います。簡単にまとめれば、修羅は、『天-地(人界)-海底』に涉って住む存在ということになります。法華経の訳者のマラジーヴァは、これらを一括して「修羅」としたのではないのでしょうか。その為、日本で、特に浄土思想が広まる中で、修羅は下善とされ、闘争の世界に生きる存在となりって、形相も悪鬼の如く、所請悪神となって「阿修羅」神になってしまったのです。閻魔さんと同じですね。中國仏教と印度仏教系とは区別しなければなりません。

 興福寺の修羅像が成立したのは、天平期か、藤原京時代、つまり、持統女帝の頃か、それ以後の遠くない女帝の時代の頃と思われます。ですから本来は「修羅」であって「阿修羅」ではなかったはずなのです。なぜなら阿修羅の「阿」は、※(印度文字?)(a)で接頭語の場合「~ではない」という意味を持っているからです。埼玉新聞にもちょっと書きましたが『「阿修羅」ではないものを「阿修羅」という、または「修羅」でないものを「阿修羅」という』ということになると、前者は自己矛盾し、後者は阿修羅以外に「修羅」が存在することになります。中國仏教はこうした変容をかなり採り入れ、それが日本の天台教学になったものと考えられます。この場合は、興福寺の修羅像は、後世にとってあまり意味が伝わり難いものになったと思われます。

 ややこしいことですが、ここで賢治に戻りますと、賢治の修羅像は明確に「悪修羅」と「修羅」とを分けています。彼は「悪修羅」の諺を用いていませんから。また「堅い瓔珞は・・・」は天から堕ちる存在です。修羅とは書かれていなくとも天部の存在であることは確かです。そこから考えて、『修羅もまた天から堕ちる存在』として人界に生きるのだと考えました。なぜなら瓔珞をつけ天部に属するものは、「修羅」以外に存在しないから。

そして『人界のどこかで悲願を果たす者に存在している』と賢治は考えたのだろうと思います。

 次に「夜だか」の造型について。この作品の「夜だか」と「修羅」の特性は見事に一致しています。だからといって「修羅」の化身という訳ではありません。「修羅」の持つ特性を生まれながらにして身につけてしまった悲しみを宿命的に与えられた存在としての「夜だか」の悲劇です。醜く、仲間外れ、という自己ではどうしようもない宿命を然も、他の生命を奪うことによって生きねばならぬという自身を星になって浄化しようとする「夜だか」の意志を太陽でさえも受け入れてくれません。だから星になろうとする「夜だか」は、最後の「キシキシキシ」という精一杯の瞋(いか)りの力で星になったのです。これがこの作品をすぐれたものにしているのでしょう。

 ところでこれを「銀河鉄道の夜」の「さそり」と比べますと、その違いがよく分ります。「さそり」にとって「どうしていたちに命をとられてやらなかったのだろう。」という悔いから自分の生命を他に犠(ささ)げるという点で「夜だか」とは異なります。だから「夜だかの星」の成立を家出期在京の頃と考える訳です。これらは、作品の良し悪しとは全く関係ありません。それは読者の判断でしょう。

 以上、長々と書きましたが、これを押しつけと取らないで下さい。あくまで私見です。折角沢山の資料を下さったので御礼のつもりで書きました。少し舌足らずでしたかも知れませんが、小南さんなら御理解頂けると思っています。

 では、この次の会合を楽しみにしております。くれぐれも御自愛下さい。 

小南様

                               昌好 拝 

※鈴木さんについて触れられずすみません。 (先生の欄外コメント)

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コメント: 1
  • #1

    コスモス (金曜日, 23 8月 2019 20:04)

    興福寺の阿修羅像が何故よだかに例えられるのか何度読んでも解りませんでした。高校の時、美術を専攻しましたが、あの像は少年の感情を表現した仏さんと教わりました。瓔珞は仏さんの両耳辺りから下がっている飾り物と、、
    ずれているかしら?