じゃがいも掘り 2018.8.12

     実家の北側の窓からの景色
     実家の北側の窓からの景色

 『兄の七回忌、義姉の十七回忌』のためにやって来た姪と姪の娘を見込くり、お昼寝タイムである…

 私は居間のソフアに横になった…午前中にカラフケ(噴湯)へ降りた疲れもあり直ぐに眠り込んでしまった…少し肌寒さを感じて眼が覚めた…私の住む熊谷ではクーラーを点けずにお昼寝など考えられないが、北側の窓を一枚開けておくだけで涼しい風が入ってくる…この夏の熊谷の猛暑を思うと信じられない程の違いだ。

暫くすると皆が起き出して来た…

甥が『涼しくなってきたがら、いも掘りに行くぞ』と言ったが、二人の息子はどうも乗って来ない…

そこで私が『久しぶりにいも掘りをやってみるか』と言うと甥の息子等も止む無く腰を上げた…

歩いて行ける距離だが、私は車に乗せてもらって出かけた…

いざ作業を始めると息子たちは懸命に働いていた…芋がらを抜く人、それから鍬で掘り起こす人、そして土の中のジャガイモを探りだすのだ…

私も子供の頃に母の手伝いをしたことがあるが、鍬の使い方が難しい…

上から振り下ろすとジャガイモを割ってしまうことがあるので、鍬を土に差し込み、手前に引き寄せながら土をほぐすようにして鍬を引き上げる要領を思い出した…

その要領で私も鍬を持ってやってみたが、かなりの力が必要で、思うようにはいかなかった…

その作業は止めて、土の中のジャガイモを探し出すのを手伝った…自分が育てたわけでもないが、大きなジャガイモを探り当てると何だか嬉しくなってしまう…これが収穫の悦びなのだと思った…

最初に掘ったのはメークインだったが、私が子供の頃には、男爵イモが殆どだったような気がする…

私も懸命に作業を続け、段ボール箱に一杯になる頃には、腰が痛くなった…それを見かねたかのように、甥の嫁さんが『おじちゃん、腰いだめるがら、もう止めて、止めて』と言ってくれたので腰を伸ばした…

眼を上げて見ると緑の向こうに大きな家が見えた…昔は茅葺の屋根しかなかったのに…それに畑がどこか分からない…やはり耕作放棄地が増えているのでしょうか…昔は、何処の家でも馬や牛などの家畜を飼っていて、朝早く土手の草を刈って与えていた…同級生にも草刈りをやっている子がいた…

このごろは、各家の主婦の方がお務めをするようになり、お務め帰りにスーパーで何でも手に入るようになったし、畑に手間暇を裂く時間が無いようだ…

甥の嫁さんもお務めを続けおり、お休みの日にジャガイモを植えたり、胡瓜、トマト、ナス、ササギを育ているようです…

今年はカボチャが豊作だと言うので探してみると沢山実を着けていたので、大きいのを三つ収穫させてもらった…実の蔓が茶色になると実った証だというが、少し早かったかなと心配だ…でも、大きさ的には十分だと思うが…

 孫はカボチャが大好きで、カボチャを持って丸かじりする仕草を見せる…

でも実際にカボチャがなっているところは見たことがないと思い花の下についた小さなカボチャを写した…

しかしながら、草に隠れて花の下のカボチャが上手く写っていなかったのは残念である…

母は『カボチャは丈夫だから…』と言って家の横の土手をほじくって種を撒いていた。すると土手や垣根に蔓を伸ばし垣根にぶら下がるように大きなカボチャがなった…

土地の肥えた畑のカボチャは元気モリモリで沢山実をつけた…甥夫婦が育てたカボチャを収穫しただけで、さも自慢げに写真に写っている…

ふと目を上げ子供の頃に見慣れた山をみると、そこに見慣れぬお堂が見えた…甥に訊くと小峰神社を麓に移設したのだという…小峰神社はその名前が示すように小さな峰の広場にあって、秋などには見晴らしが良かった…風の又三郎のように仲間とでかけて、山栗を拾ったりアケビを探したりして遊んだところだ…

その頃は他所の家の栗林で栗を拾ってもさして咎められることもなく長閑な時代だった…もうその頃の氏子たちも年老いてしまい、冬場の雪降ろしに山に入れなくなり、ご神体とお堂を麓にお連れしたのだという…

私がぼんやりと辺りを眺めながら一服している間にも若者たちは作業を続け、男爵芋をこんなに掘っていた…夏休みには、ジャガイモと鍋、新聞紙に塩を包んで川に水浴びに出かけた。存分に水浴びをしてお腹が空くと石でかまどを作り、木の枝や杉の葉を集めてジャガイモを煮て食べた…そんな写真を兄が写真展に応募したことがあったが、自宅の火災で焼失してしまい思い出だけが残った…

この畑は母が一生懸命に耕していた。豆撒きや芋ほり、大根を背負って運んだり、手伝った…その後、義姉は『畑仕事が好きだ』と言って透析を受けながらも色んな野菜を食べさせてくれた…今は毎日お務めしながらも甥夫婦が野菜作りを続けて、こんなに沢山のジャガイモを収穫できた…ありがたいことです…

一足先に収穫物と一緒に車で帰った。男三人がネコ(手押し車)に積んだ男爵芋をこぼさないように押しながら帰ってきた…

私は外の水道で履いて行った長靴の泥を洗い落してから、家の周りを巡ってみた…

右手のエゾ松は自宅炎上の時、枝葉や幹を焼かれながらも50年経った…中央のモミジは兄が田沢湖で買ってきた苗を植えたというが、その時はまだ小さく雪に埋もれて火の粉を浴びなかったようだ…

そして50年も経ち、木登りができる程に大きくなったかと思うと何だかジーンとくるものがあった…

このツゲの木も前からあったが、毎年、毎年の雪に潰され、腰を曲げたように前のめりになりながら枝を広げていったのであろう…

その枝を広げれば広げるほど、雪の重みを背負いこんだであろうに…

信念を曲げずに生き抜く人のようにも思えて来て、ケナゲに見えてきたのである…

家の裏手の角の所に結構太い松の木が生えていた…この辺りにはナナカマドが植わっていたはずだと甥に尋ねてみると、誰が植えた松か分からないが、いつの間にか大きくなり、屋根より高くなってしまったという。そうか、そこには私の知らない50年があったのかと自分を納得させた…

向こうに見える倉庫の辺りに薪を積んでおく小屋があった…小屋には冬を越すための乾燥した薪が高々と積まれ、冬囲いの時に杭を組んで萱で覆った母屋までの通路が作られた…越冬時には小屋から薪を運んできて母屋の土間に備えて置くのも子供たちの仕事であった…

家の裏を流れていた小川も、今では両岸に石垣が積まれ、川底もコンクリートで固められしまい、沢蟹もカジカも住めなくなってしまった…

夏にはカンテラを点け、ヤスを持ってカジカを突きながら沢を上ったものだが、そんな遊びはもうできなくなったのかと思いながら、川底を覗き込んでみた…

沢を渡る幅50センチ程の鉄製の橋が見えた…昔は向こう岸に嘉太郎大工さんの家があり、リヤカーが通れるくらいの木の橋があった…

ところが昭和27年だったと思うがその年の二百十日の頃の大雨で沢が氾濫し、川上の学校へ行く橋も、ここの橋も流されしまったことがる…その時、大工さん家との紛争が起こったのだ…大工さんも自宅の方の土手が崩れないようにと手持ち材木をワイヤーで結び川上から流した…その防波堤に跳ね返された濁流が、反対側の我が家の土手をみるみる削って行ったのです…それに激怒した父が、大声で怒鳴り散らしたがどうにもならなかった…我が家の裏には苗床や畑があったのだが、かなり崩れ落ちてしまい、それ以来、暫くの間嘉太郎大工さんとの仲違いが続いたような気がする…

これは家の前の銀杏の木だ。

この銀杏の木は義姉が植えたと言っていたが、亡くなってから17年も経ち、もう電線よりも高く育っていた…甥に訊いたら、この銀杏の木は実を着けると言っていたが、実が落ちる時期には少し匂いがきついかも知れないね…

これから先、そう何度も帰ることはないだろうと思いながら、こうして家の周りの写真を撮った…

家に入り一風呂浴びて汗を流した…大したことはしなかったのに久しぶりに身体を動かし清々しい気持ちになった…

こうして呑んだビールは旨かった。

つづく