2019年

10月

20日

秩父札所めぐり道中記 2019.10.10

札所19番 ~ 札所27番

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2019年

6月

15日

44年 別所温泉同期会 2019.6.2-3,4

信州・別所温泉ー飛騨・高山ー越中・富山 1000キロの旅

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2018年

10月

04日

卒後50周年記念同期会ー3 2018.9.3

「注文の多い弁当」と賢治所縁の北山の寺

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2018年

9月

29日

卒後50周年記念同期会ー2 2018.9.3

高松の池散策とレストラン賢治

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2018年

8月

07日

「北海道の芽室町からの贈物」 2018.8.1

 5月26日の同袍寮のOB会の写真と宮沢賢治関連のブログの記事などを同袍寮46室で同室だった北海道の先輩にお送りした…

 しばらく返信がなかったので、何か不都合なことでも発生したのかと心配していたら、8月1日に郵パックが届いた…

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2017年

10月

20日

青羊 『めたもるシティ』CD発表 2017.7.19

<青羊 めたもるシティ ジャケット>
<青羊 めたもるシティ ジャケット>

 9月の松島の同期会で鈴木さんから御令嬢・青羊の新しいアルバムを紹介してもらった・・・私がジャズ好きなのを知ってのこでしょう。

 最初のアルバムは2013年9月18日発売の『LE KEMONO INTOXIQUE(ル・ケモノ・アントクシーク)』であった。あの時同期で応援団を作ろうなどと騒いだのに何もできず今日になってしまったことを反省している。でも、あれから4年経ちどのように進化したのか楽しみなアルバムである。

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2017年

10月

13日

岩大電気科44年同期会 松島 2017.9.24~25

<9月24日11:10 はやぶさ>
<9月24日11:10 はやぶさ>

 仙台での同期会は一緒に行こうと太田さんと約束していた。ただ、どの新幹線に乗るのか決めていなかったので、仙台往復切符と新幹線自由席だけは買っておいた。

 前日、10:35に大宮に着くから11:10のは「やぶさ」に乗ろうと電話した。当日大宮駅で落ち合い、指定席を確保した。

駅中のコンビニでビールと氷結を太田さんが仕入れて新幹線に乗り込んだ。太田さんはしっかりと生ハムを持参していた。

 太田さんに「”やまびこ”だったら、もっとゆっくり呑めたのに」と言われ、目的地に早く着くだけなく、旅を楽しむ方法もあるのかと思った・・・

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2017年

9月

30日

四匹の侍 佐渡紀行 2017.9.5~9.7 

青柳先輩 墓参の旅路

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2017年

7月

18日

茅ケ崎から鎌倉へ江ノ電に乗って 2017.6.25

 <電気科東京支部大会(2017.6.24)>
 <電気科東京支部大会(2017.6.24)>

 今回の東京支部大会でも44年組の参加者は10名と多かった。やはり飛世さんの吸引力が強く、花巻から鈴木守さんもやって来た・・・

 翌日の25日には鈴木さんを歓迎して江ノ電の旅が計画されていて、11時に藤沢駅集合となっていたが、生憎雨天の予報がでていたので、腰が重かった・・・そんな話をすると渡部さんが飛世さんの所へ泊めてもらえばいいと勧めてくれた。お酒の勢いもあって、その話に乗っかて駅について行くと偶然ホームで大先輩の山崎夫妻にお逢いした。ご夫妻も茅ケ崎に行かれるとのことでしたので、茅ケ崎に移り住んでいるのかと私は思い込んでいた・・・

 たまたま奥様の隣に座り、茅ケ崎までお話させてもらった・・・次々と懐かしい盛岡の話題に飽くこともなくお話を聴いていたが、賢治をことを詳しくご存知だったので、思わず身を乗り出して聴き入った・・・

 茅ケ崎に着いて私は奥様をエスコートしながら飛世さんの後に続いた。どうも茅ケ崎に住む弟さんの所へ行くとのことで、飛世さんがタクシー乗り場まで案内してあげた・・・当初、飛世さんがタクシーに同乗してお送りすると言っていたが、奥様が住所を書いたカードを運転手に手渡すのを見と届けて、ここでお見送りをした。こんなにご高齢なのに東京での電気科総会にお出かけくださったのかと思い、家で名簿を確認してみると昭和24年第8回卒業の大先輩であった。願わくば私もかくありたいと思うのだが、とても自信はない・・・

 先ほどと反対側の駅前の路肩で飛世さんの奥様が待っていてくれた。その車に乗せてもらい、飛世さんのお宅に向かった・・・奥様の手料理を頂きながら随分遅くまでビールをご馳走になった。とめどなく続く話、時間は覚えていないが、二階に案内されるとそこには布団が二つ敷いてあった・・・鈴木さんと枕を並べて眠った。二人共早朝に目が覚め、小雨の中散歩に出かけた・・・

 海の見えるところまで行って見ようと40分程歩き続けたが、土地勘のない二人にはそれは叶わず、7時には出発すると聞いていたので引き返した・・・

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2017年

5月

27日

同袍寮OB会(青柳さんを偲んで)

   <青柳さんの娘さんと>
   <青柳さんの娘さんと>

 5月27日(土)品川の「土風炉」で定例の同袍寮OB会が、ささやかに開催された。昨年11月に亡くなられた46室で同室だった「青柳先輩を偲ぶ」ブログを目にした青柳さんの息子さんと娘さんご夫婦が、この会に参加してくれた。

 更に青柳さんと同じ学科の親友・山王さんも駆けつけくれた・・・

幸い参加された殆どの方が、青柳さんと面識のある同年代であり、青柳さんの同袍寮での暮らしぶりを語ってくれた。

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2016年

12月

19日

青柳先輩への追悼の記

 学生時代の青柳先輩
 学生時代の青柳先輩

 平成28年12月16日の夕刻、息子の定期検診のから帰ると、青柳夫人から薄墨で刷られた葉書が届いていた。11月に青柳先輩が亡くなられたとの文面に息を呑んだ。暫くの間、色んな事が頭の中を駆け巡ったが、少し呼吸を整えて、奥様にお電話を差し上げた。

 青柳先輩は、職を退いてから糖尿病を患い、次第に足が思うに動かなくなり、自宅で黙って座っていることが多くなったということです。そしてゴルフにも出かけなくなり、春や秋の天気の良い日に散歩する位になってしまった。そうして居るうちに自宅での療養、介護も困難となり、止む無く9月頃に入院したそうです。そして11月30日、昼食を摂っている時に誤飲による呼吸不全に陥り、帰らぬ人となってしまわれたということです。

 夫の葬儀を済ませ、まだ気を張り詰めているせいか、奥様は立て続けに一部始終をお話してくださいました。私は、ほんの少し同袍寮での先輩の暮らしぶりをお話するしかなかった。そして最後に奥様が、先輩と同期の山王氏のことを気にかけておられたので、岩大工学部の名簿をめくり、山王さんに連絡を取った。幸い先輩に連れられて、山王さんの下宿に行き、当時の学生にとっては高級品のニッカウイスキーをご馳走になったこともあり、山王さんとはお付き合いもあったので、ことの次第をお伝えすることができた。そして山王さんには青柳先輩の電話番号をお伝えに、奥様への電話をお願いした。

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2016年

7月

01日

岩大電気電子情報科会 創立75周年記念式典

平成28年6月18日午後 於: 岩手県公会堂

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2016年

6月

30日

岩大電気科44年 同期会 (16.6.⒚ 前編)

宮沢賢治の詩碑巡りと八幡平のお花畑散策の記

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2015年

10月

18日

44年電気同期会 秋田男鹿半島

今回の同期会は、昨年の函館の宴会場で決められたことだ。当然、秋田出身の私も名目幹事の一員となったが、殆どのことは飛世・小倉・渡部の3氏が企画・実行してくれた。感謝しております。

そうは言っても新宿の『三平』で開かれた準備会に2度ほど参画した。この写真は橋本氏が送ってくれたものだが、彼はこれまで、いやこれかも同期会の写真を撮り記録に残してくれるであろうと期待しております。

 実は1月28日に熊谷に新宿のうたごえ喫茶『ともしび』がやって来て、その時のブログにこんな短歌を掲載した。 

 『うたごえ』のビラを配りき詰襟の津軽訛りの学友(とも)は何処に

すると飛世さんが小森さんと連絡を取ってくれて、新宿の『三平』で卒業以来の再会ができたのです。これは、熊谷に在住の”うたごえ”の仲間・金井さんを誘って出かけた時の写真です。 

  卒業後五十年経て『三平』に語らひ止まぬ『うたごえ』の二人

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2014年

11月

03日

けもの 青羊(あめ)のCDを聴いて

KMONO LIVE 11/7 IN 鎌倉
KMONO LIVE 11/7 IN 鎌倉

『けもの 青羊』のHPを開いたら、鎌倉でのライブの案内が掲載されていた。熊谷からは少し遠いので応援に参加できないが・・・お近くの方で、ご都合がつきましたらお出かけください・・・最近、『LE KEMONO INTOXIQUE』という”けもの”のアルバムを入手して聴いています。

『けもの』のHPのアドレスが変更になりました。

http://kemonoz.com/

鈴木守氏のご令嬢「青羊」のバンドのHPです。是非とも覗いてみてください。

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2014年

10月

25日

岩大電気東京支部大会への参加

東京支部大会の総会
東京支部大会の総会

 最近同期会に参加するチャンスの少なかった金井さんを誘って東京支部大会に参加した。44年卒の同期は40名中9名の参加で、全体の25%を占めている・・・一重に飛世さんの求心力と、まとまりのある仲間だと誇りに思っている。総会でも議長、書紀2名とも我らが同期である。総会の議事は順調に進み、総会後、岡英夫名誉教授の講演会が開催された。『岩手から発信してきたマグネティックス研究 40年のあゆみ』は、大変興味深い内容で、取分け”磁性木材”の実用化研究には関心が集まった。

乾杯を待つ飛世さんと武田さん
乾杯を待つ飛世さんと武田さん

 実は、前日にスカイプを使って飛世さんと相談し、この会場でジャズバンド『けもの 青羊(あめ)』を応援しようと、ユーチューブで放映する準備をしてもらっていた・・・

 青羊(あめ)は鈴木守さんの娘さんでシンガーなのです。飛世さんの後ろのディスプレイで賢治の『星めぐりの歌』を歌う青羊(あめ)を映し出し、応援を呼びかけよう計画したが、残念ながら参加者全員にアピールする時間は確保できなかった・・・

 飛世さんありがとうございました。

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2014年

9月

08日

函館の定期観光バスに乗って

函館区公会堂のバルコニーより
函館区公会堂のバルコニーより

 前夜の宴会の興奮も醒めやらねままに、朝4時頃に目が覚めてしまった。昨夜も伊藤さん、桜井さんと枕越しに深夜まで話し込み、私は御先に眠り込んでしまったらしい・・・『李ショウバン・ライン』がどうのという話題の結末を覚えていない。

 誰もいないロビーに座り込んでいたら、風呂上がりの人が歩いてきた。どうも、一階にもお風呂が有るらしいと思い、その方向にあるいて行くと”日帰り入浴”もできるような温泉が沸いていた。ふらりと部屋を出たのでタオルなど持っていなかったが、洗面台にタオルがおかれていたので、それを借りて温泉に浸かった・・・誰も居ない浴槽で、『工藤さんの持ってきた”ぢょぱり”は旨かったなあ・・・』などと思いながら、のんびり温泉を楽しんだ。来年の秋田での同期会は何処になるのかなあ・・・寅さんが何んとかしてくれるだろうと思いつつ浴槽で足を伸ばした。

函館の朝(橋本氏撮影)
函館の朝(橋本氏撮影)

 函館のホテルの朝食はバイキング方式であったが、和食系の殆どにイカが使われていたのには、イカどころ函館かと恐れ入りました。朝食を食べていると小倉さんが各テーブルに『8時半にホテルの前で集合写真を撮る』と伝えて廻ってくれた・・・所用で朝から家に向かわねばならぬ仲間がいるのだ。

 集合写真を撮り終えて、寅さんとサヨナラの握手をしていたら、工藤さんが『寅さん、背広どうしたんだ!』と声を掛けてきた。『おれは背広着てこないよ。』と言ったが、部屋に戻るエレベータの中で橋本さんに昨日撮った写真を検索してもらった・・・そこには上着を着た寅さんの姿が写っていた。部屋に戻って背広を手にした寅さんは、何度も礼を言いながら帰って行った・・・実は、私も昨年のつなぎ温泉での同期会で忘れ物をして、ホテルから着払いの宅配便を受け取っていたのだ。

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2014年

9月

07日

函館の啄木の遺跡を訪ねて

石川一族の墓
石川一族の墓

 小雨の降る中、熊谷から新幹線に乗り羽田に11時半頃到着した。うろうろしながらJTBから送られてきた書類を航空券に替えようとしていたら、大川さんに会った。彼が、2次元バーコドを端末に読み込ませて手続きをすませてくれたが、それから搭乗手続きをする所で問題が発生である・・・手荷物検査で金属反応・・・上着を脱ぎベルトまで外して、3度ほどチェックゲートを潜りボデーチェックされ、次第にイライラしてきた・・・そしてバッグにライターが4個も入っていると言うのだ。自分にはあまり覚えていないが、出かける度にライターをいれたらしい・・・カバンの中を引っかきまわして4個目のライターを探し出したら、飛行機には1個しか持ち込めないので残りは没収するというのだ・・・私の検査を待っていてくれた山下さんと市川さんが1個ずつ持ってくれたが、それでも2個残ってしまう。そこで若い検査官に「私物だから自宅に送っておいてくれ。」とからかったら、少し困惑したようであった・・・ライターなんかたいして惜しくなかったが、余りにも念入りに検査されたので、そのお返しをしたかっただけなのである。

 それにしても搭乗検査は厳しくなったものだ。このカバンの中身は昔も今も大した変わりはないはずで、以前は難なく検査を通っていたのにと、9.11のテロ事件を思い出していた。

 それから東京組と落ち合って、生ビールを飲み、かき揚げ蕎麦を一杯食べて函館行に乗り込んだ。発つ時は曇り空から小雨がぱらついていたのに山形上空で緑がかった水をたたえた蔵王のお釜が綺麗に見えた・・・暫くして鳥海山と男鹿半島が見えるとアナウンスされたので、覗いて見たが、残念ながら雲の下であった。

函館青柳町の路地にて
函館青柳町の路地にて

 空港から桜井さんが手配してくれたマイクロバスに乗って”啄木亭”に向かった。そこには女鹿さんと伊藤さんが受付をやってくれていた・・・武田さんが快く受付を代わってくれたので、荷物を預け再びマイクロバスとタクシーに分乗して、念願の”啄木遺跡巡り”がスタートした。タクシーには、桜井さん、女鹿さんと三人で乗り込んだ。まずは近くのローソンで桜井さんがカンビールを仕入れて配ってくれた。女鹿さんは拘りの銘柄を買って走り出すと、流石に観光地のタクシードラバーは、すらすらと函館を紹介しながら、青柳町へ向かってくれた・・・その話口調に昔懐かしい”北海道弁”を感じながらサッポロ黒ラベルをグビリと飲んだ。

 着いてみると、そこは函館山に近い丘で、”啄木が住んでいた”との看板があるだけであったが、この路地の奥に啄木を慕う文学青年たちが夜な夜な集まって来て、番茶でもすすりながら熱弁を振るったのかとトキメキを感じた。彼ら同人8人は『紅苜蓿(べにうまごやし)』という文芸誌を発行していて、その主宰者の大島経男(明星の同人)が啄木に依頼し3篇の詩を載せていたのだ。おそらく、それが縁で啄木は函館へやってきたのであろう。この仲間には、運命的な出会いとなる宮崎郁雨がいたし、弥生小学校の代用教員を世話してくれた小学校教諭の吉岡章三も居たのだ。私が高校時代の下宿に、夜な夜な5,6人の仲間がやって来て色んなことを話したり、歌を歌いながら夜の街を闊歩した・・・

□ 最一度声を聴きたき友は今は亡く独り居て飲む酒の苦さよ

そんなことを想いながら、啄木と仲間のことに想いを馳せていた。

 

○ こころざし得ぬ人々の あつまりて酒をのむ場所が わが家なりしかな

 

 大して見るものない青柳町まで皆に付き合ってもらって、少々気が引けたが、皆と写真を撮り合ったりして、私は大満足であった。ここからタクシーに寅さんに同乗してもらった。

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2014年

7月

21日

函館の同期会に寄せて

○「函館に想いを馳せて」の雑文にコメント寄せし友の気遣い

 この雑文は、岩大44年卒同期会のHPに投稿したものである。
初めて北海道の函館での同期会で、北海道出身の同期に多く参加して欲しいとの思いを込めての企画であろうと思う。多くの仲間に逢えたら嬉しいと楽しみにしております。
函館に想いを馳せて.pdf
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